元フィギュア選手の中野友加里さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)
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 2000年代に女子フィギュアスケートのトップ選手として活躍した中野友加里さん(39)。現在は2児の母として子育てをしながら、フィギュアスケートの解説や審判などの活動を行っています。フィギュアを引退するまでの葛藤を聞いた【前編】に続き、【後編】ではトップアスリートからテレビ局のいち社員になったことのギャップ、完璧を求めるアスリートならではの子育ての悩みなどを語ってくれました。

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 輝かしい活躍の裏で、中野さんは1カ月ほどスケートから離れていたことがある。2010年。バンクーバー五輪出場を目指していたが、前年12月の全日本選手権で2位にわずか0.17点届かず3位となり、五輪出場を逃した時だった。その後の四大陸選手権と世界選手権の代表には選出されていたが、全日本選手権が終わってから1度も滑らなかったという。

「理由としては、(通っていた早稲田大大学院の)論文を終わらせなきゃいけないからということだったんですが、今思うとそう思い込んでいただけだと思います。忙しくしていたらスケートのことを考えなくて済みますから。ほとんど部屋から出ずにずっと論文をやっていました」

 これまでのスケート人生で、1カ月スケートを休むのは初めての経験だった。リンクから離れて1カ月がたったころ、コーチの佐藤信夫氏から「いつ来ますか」と電話がかかってきた。恐る恐るリンクに行ってみたものの、筋力も衰え、体重が落ちてしまいパワーが出なかった。「もう無理だ」と感じ、その年の2月に引退を決めた。

「もう、限界でしたね。精神面でも体力面でも限界を感じていました。演技も技術も、もうこれ以上はできないと……。『まだやれる』と言われたんですが、そう言われているうちにやめようと思いました」

 現役を引退し、同年4月からはフジテレビに入社し社会人としてスタートを切った。会社員としては、「世界に出ていたアスリート」だからといって優遇されることはまったくなく、はじめは大きなギャップを感じたという。どうしても「スケートの中野友加里」が自分の中から抜けず、相手もそれを感じ取ってやりづらさを感じることもあった。

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入社2年目からプライドも低くなった