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「日本三大ドヤ街」の一つ、大阪市西成区の釜ケ崎。YouTubeなどで「治安が悪い」イメージが強調される一方、近年はインバウンド客が宿泊する観光拠点としてにぎわっている。【前編】ではライター・國友公司さん(32)の、西成での「78日間住み込み取材」について紹介した。【後編】では街を歩きながら、國友さんの西成への思いを聞いた。発売中の書籍『西成DEEPインサイド』(朝日新聞出版)より一部抜粋・編集してお届けする。
※【前編】<「みんな死ぬまでの暇つぶししとるだけや」 ドヤ街・西成で25歳が圧倒された「シンプルな生き方」>より続く
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泊まっていた簡易宿所の求人を見て、1カ月ちょっと従業員として働いた。トイレ掃除をしたり、フロント番をしたり。そこで暮らす人たちを見て思った。
生活保護を受給し、その一部で宿代を払えばずっといられる。残りのお金でスーパー玉出で弁当を買い、ギャンブルもできる。言葉は良くないが、次の受給日まで何もしなくてもいい。その代わり出て行く気もしなくなる。「そうはなりたくないし、その勇気もないのが自分だとわかった」と振り返る。
体当たりのルポは、國友さんの定番になった。その後、五輪でわく東京でホームレスとして暮らした『ルポ路上生活』を発刊。いまは、釜ケ崎と並ぶ日雇い労働者のまち、横浜・寿町に拠点をかまえて連載をしている。
それでも、西成には年に数回、通い続けている。「なんか感謝があるんです。ライターとしても社会人としても育ててくれた」
訪れるたび西成は大きく変化している。外国人観光客やユーチューバーが目立つようになり、近くに星野リゾートが進出した。
24年9月も釜ケ崎に入り、まちを見て回った。18年の滞在中と比べ、カラオケ居酒屋と民泊がさらに勢いを増し、中国人が所有する土地が急増したと感じている。ベトナム人らのコミュニティーも広がった。
國友さんと並んで細い路地を歩いていると、中年男性が声をかけてきた。「若者にプレゼントがあんねん」。ケースに入ったDVDを見せてくる。「買わないっすよ」と國友さん。男性は「ええねん。おれの使い回しやけどな」と話してはいたが、そのまま離れていった。