8年ぶりに俳優復帰した成宮寛貴(撮影/写真映像部・和仁貢介)
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 8年ぶりに俳優活動を再開した成宮寛貴(42)の復帰後初のインタビュー。【前編】では2016年の「電撃引退」にの真相や「空白の8年間」について聞いたが、【後編】では、俳優復帰に至った“きっかけ”や、復帰作「死ぬほど愛して」(ABEMA)の撮影に臨んだ思いなどを語ってもらった。

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※【前編】<俳優復帰「成宮寛貴」が初めて明かす“電撃引退の真相”と“空白の8年間”>よる続く

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 芸能界引退から約4年がたつ頃、興味を持てるものを見つけた成宮は自身のアパレル&アクセサリーブランド「HN Product」を立ち上げ、プロダクトをホームページやインスタグラムに発信していった。

「日本のファンの方がずっと応援してくださって、いつもコメントをくれました。その言葉のひとつひとつが温かく励みになりました。本名の平宮博重(なりみや・ひろしげ)で活動していて、SNSが唯一、日本で応援してくださっている方とのつながりでした。『HN Product』のホームページでは、自分のビジュアルは強調せず、商品に注目してもらうようにしました」

 それでも、成宮がSNSで発信した内容をメディアが取り上げることがあり、WEBニュースなどで報じられることも少なくなかった。時には、日本から仕事のオファーが舞い込むこともあったという。

「広告のお話を頂いたことがあります。生活を考えるとやった方がいいと思ったのですが、今は引退している身なので、自分の肖像を使った仕事は考えられず、ありがたいお話だったけどお断りしました」

成宮寛貴(撮影/写真映像部・和仁貢介)

 次第にメディアでも「成宮寛貴、俳優活動再開か」「成宮、『相棒』復帰へ」と復帰説が流れ始めた。そして20年12月24日、成宮は帰国。だが当時は、俳優復帰への気持ちはなく、プロダクトプロデュース業に専念していた。

 そして帰国して1年ほどたつと、復帰へとつながる出来事があった。

「作家・脚本家の樹林伸さん、お姉さんのゆう子さんと食事をする機会があって『やってもらいたい役があるから一度読んでみて』と、作品の原作をいただいたんです。樹林さんの原作作品では、神崎潤(J)役の『ブラッディ マンデイ』や高遠遙一役の『金田一少年の事件簿N』など本当にいい役をいただきました。樹林さんのお気持ちが、本当にありがたかったです。

 ただ、その時は俳優として復帰するとは考えていませんでした。俳優という仕事は、『よし、明日から俳優やろう』といってできるものではありません。まず、事務所やマネジャーなど整えなくてはいけないことが多い。それと俳優復帰するなら『成宮寛貴』として活動したいという強い思いがありました。そこで前のエージェント(芸能事務所)にもごあいさつにうかがうと、幸いにも快く承諾していただけました。こうして環境が整ってきたタイミングで、改めて樹林さんからご連絡をいただき、作品出演が現実的に考えられる状態になっていきました」

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「殺人鬼だが、サディスティックな見え方にはしたくない」