
「ちょっとずれている」感覚と言えば、色を表す言葉もそうだった。初代ポケモンのゲームは「赤・青・緑」とタイトルに色の名前がついていたが、これらの色を表す言葉は中国語では「紅(ホン)・藍(ラン)・綠(リュー)」が最も一般的で口語的である。例えば「赤信号」「青信号」は中国語では「紅燈(ホンデン)」「綠燈(リューデン)」という。「赤」や「青」という漢字は中国語にももちろんあるが、やや文語的なニュアンスがして、例えば「面紅耳赤(赤面する)」「近朱者赤(朱に交われば赤くなる)」「丹青(絵具や歴史書の意)」「青青子衿(青い服を着た学生の意、『詩経(しきょう)』の言葉)」といった熟語や、「赤壁」「赤兔馬」「青蓮居士(李白[りはく]の号)」といった古代の固有名詞に登場することが多い。そんな古めかしい雰囲気の漢字がゲームのパッケージに印刷されているのを見ると、やはりある種の神秘性を感じた。
人称にしてもそうだ。全く日本語ができず、読み方も分からない状態でも、「私」「俺」「君」「彼」といった漢字を見ると意味は分かるのだが、それにしても古めかしい。「私(スー)」は中国語では一人称として使わないが、「公(ゴン)」とは対照的な概念なので「自分自身」を指す言葉であると何となく推察できる。「俺(アン)」は山東方言の一人称だ。「君(ジュン)」や「彼(ビー)」については、例えば李白の有名な詩「君不見(きみみずや)、黄河之水天上来(こうがのみずてんじょうよりきたるを)、奔流到海不復回(ほんりゅううみにいたりてまたかえらず)」のように、中国語では古文にしか出てこないような人称代名詞である。