ミュージアムのショップ、スパイス店など業界問わず、協働の話はやってくる。昨年12月には、北海道の「いかめし阿部商店」代表の今井麻椰と、「ハイアット セントリック 銀座 東京」のカフェで打ち合わせ(写真/植田真紗美)

「本当は米粉100%にしたかったのですが、硬くなるので諦めました。保存料や添加物は一切使わないと決めていますしね」

 新しいことに果敢に挑戦するタイプで、これまで数十社とのコラボレーションも手掛けている。先の木村屋總本店代表の木村は同じ老舗経営者として山口とは立場を同じくするが、こう語る。

「守るべき軸を持ちながらチャレンジし続けることが、老舗経営には大事。チャレンジするにも守ってきた技術、思いをブラさずに新しいものを受け入れる。これは銀座の街に共通していることだと感じています。伝統は革新の連続。大変なことですが、それを楽しんでいるのは、ひこちゃんの性格と空也という事業体があってでしょうね」

 山口の挑戦の原点は、慶應義塾高校野球部時代の教えにある。

空也の店頭前で。のれんの「空也もなか」は、洋画家・梅原龍三郎の書。紺色の木綿地に白文字が潔い(写真/植田真紗美)

 1979年生まれ。父と母、姉が2人いる末っ子長男だ。父が4代目として空也ののれんを守ってきた。男が家を継ぐという向きが多かった昭和世代だが、本人曰(いわ)く、継ぐことを求められたことは一切なかった。とはいえ、幼い頃から、5代目になることに疑問を持ったことはなかったという。

 幼稚舎から大学まで慶應義塾で学んだ。幼少期は教科書を読まされるのが苦手で、人前に立つことも決して好きではなかった。高校でマネージャーとして入部した野球部で、監督の上田誠(67)と出会ったことが、山口の性格を変えたという。

「マネージャーとして上田さんと一緒にいると、人前に立つことも意見することも多かった。いつしか、他人の目を気にすることもなくなりましたね。もし、出会っていなかったら、もっと堅くて面白くない人間だったでしょうね」(山口)

(文中敬称略)(文・永野原梨香)

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