
もし、ほなつさんにとってどうしようもないこと、ほなつさんがどんなに頑張っても改善できないことだとしたら、ほなつさんが「すべて悪かった」なんてことは絶対にないです。
「自分の罪を見つめながら」と書かれていますが、そんな罪はないと僕は思います。悲しみや後悔はあっても、それは罪ではありません。
ほなつさん。
「毒親は自分のことを毒親だと知らない(思ってない)」のは事実ですが、同時に毒親としての特徴があります。
毒親は、「子供のために厳しくしつけ・教育した」と言います。自分が子供だった時には絶対できないような無理なしつけや勉強を押しつけます。
または、子供の気持ちを無視して、自分の意見や信念、信仰を押しつけます。それが子供のためだと信じて、疑問を持ちません。子供がどんなに苦しんでも、必要な苦しみだと考えて、無視します。
毒親は、自分を一番に考えて、子供のことは常に後回しです。自分の楽しみを優先し、子供の気持ちは大切にしません。
これが毒親の特徴です。
ほなつさんは、息子さんを厳しく教育しましたか?子供の気持ちを無視して、自分の意見を押しつけましたか?子供の価値を否定しましたか?まずは自分を一番大切にしてきましたか?
文章からは、そんなことはなかったんじゃないかと感じます。
毒親なら、「弱かったから死んだんだ」とか「私の意見を無視したから死んでしまったんだ」とか「私の正しさを理解できなかったから、しょうがないんだ」なんて言います。
ほなつさんは、そう思っていますか?
違うでしょう。
ほなつさんは、息子さんを自死させてしまった申し訳なさから、自分を一方的に責めていると感じます。
ほなつさんが書くように、「多感な時に親に相談するのも苦しい」ことです。悩むことそのものを恥ずかしく感じて、言えなくなります。
それは、「死ぬほどの苦しみを言えない家庭であった」ということではありません。逆に、親が理解があると感じれば、余計、言いにくくなることもあります。親を苦しめたくない、親に迷惑をかけたくない、自分でなんとかしなければと思ってしまうのです。