仕入れは各店の店長が行うが、市原も毎週1度は市場に足を運び、古くから付き合いのある仲買人と交流する。「仕入れは人間力で決まります。市場の人たちから社員の様子を聞くのが目的です」(写真/MIKIKO)

父の会社が倒産すると 人々が手のひらを返した

 松下電器産業(現パナソニック)で35年にわたり経理部で働いた後に、京都産業大学で教鞭(きょうべん)をとった山本憲司(84)は、大学で「どこでもゼミ」という名前のゼミナールを開催していた。漫画『ドラえもん』に出てくる「どこでもドア」のように、そのゼミに入れば「将来自分の好きな世界に行ける」ことを意味するネーミングだ。

 山本は授業で「経営は知識や理論ではない! 全身全霊をかけて一つの物事に打ち込む気合が何かを動かすのだ」と語り、松下幸之助から学んだ実践的な経営哲学を熱く学生たちに教えた。「この先生は現実の経営を知っている人だ」と感じた市原は、2年時から山本のゼミに入ることを決める。山本ゼミに所属する学生は、経営に関連するさまざまな「部」に所属し、主体的に活動する。市原の人生の最大の転機となったのが、このゼミで「福祉革命部」に入ったことだ。

鮮魚をさばくのは今もお手の物だ。「八百鮮の競争力の源泉は、徹底した属人的経営で育てた仕入れ力のある社員です。彼らとともに近い将来、関東や九州への出店を進めていきます」と語る(写真/MIKIKO)

 福祉革命部では「福祉と経営の融合」というコンセプトのもと、市原の入学する1年前から「経営パラリンピック」というシンポジウムを企画していた。障害のある人が働く作業所を学生たちが訪問し、先進的な取り組みについて調査、その内容を障害者とともに聴衆の前で発表するという取り組みだ。「障害者がもっと収入が得られる社会」を目指すこのイベントは、ヤマト運輸の名経営者、故・小倉昌男の全面的な協力も受けていた。市原は山本とともに経営パラリンピックをNPO法人化し、福祉事業所に何度も足を運んだ。そして障害者の働きぶりを知るとともに、事業所の経営について経営者たちから学んだ。中心となって企画した4年時の経営パラリンピックが300人以上の聴衆を集め大成功に終わると、市原は仲間たちと感動の涙を流した。

「経営はお金儲(もう)けが目的ではなく、誰かを幸せにすることが目的であると、この活動を通じて学びました」と市原は振り返る。

(文中敬称略)(文・大越裕)

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