「その土地でしか出会えない美しい色や輝きが途上国には残っている。地球の恵みを浴びるようで、ものすごくエネルギーをもらえるんです」
1週間も滞在すれば10型、20型とアイデアが湧く。現地のサンプルチームの7人に振り分けて、職人と意見を擦り合わせながら磨く。ただし、現地で完成させることはなく、一度日本に持ち帰り、「先進国」の空気と馴染(なじ)むように調整する。19年かけて培った“素材起点”のプロセスを守るため、山口は海を渡る。昨夏にバングラデシュで政変が起きた直後も、会社の誰にも告げずに一人で飛び立ち、社員を驚かせてしまったのだと笑う。
壮絶ないじめで不登校に 高校は男子柔道部へ入部
途上国ならではのリスクにはもう慣れっこだ。13年に首都ダッカ近郊の8階建て商業ビルが崩落した事故の後には、各国の縫製工場が撤退した。あの時に路上に溢(あふ)れた労働者たちの哀(かな)しみの顔も忘れない。山口は「私はやめない」と決めている。
なぜ途上国での生産にこだわるのか。その答えは「レッテルをひっくり返したいから」。
途上国に上質な製品は作れない、先進国で売れるものはできっこない……そんな固定観念と山口は闘ってきた。誰かの真似(まね)ではなく、その国が元来持つ素材の力で勝負をする。一見、弱い存在でも、世界に通用することを証明したい。この思いに至り、起業したのは24歳の時だった。
疑問に感じたことは素通りできず、「なぜ『前にならえ』をしなければならないんですか?」と校長に質問するような少女だった。学校の集団生活になじめず、壮絶ないじめに遭い、やがて不登校になった。中学で非行に走りかけた山口の軌道を変えたのは柔道だ。小柄な女性でも、技を覚えて鍛錬すれば大きな相手を投げ飛ばせる。高校では男子柔道部に入部し、ストイックな自主練に励み、全日本ジュニアオリンピックで全国7位まで上り詰めた。柔道をやり切った後は、AO入試で慶應義塾大学に進学。竹中平蔵ゼミで一つ上の先輩だったのが、山口と二人三脚でマザーハウスを育ててきた現副社長の山崎大祐(44)だ。