3月28日、音楽家・坂本龍一さんが永眠した。享年71。がんを公表しながら最期まで音楽をつくり続けていた。坂本さんをよく知る方々に聞いた。
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僕が坂本龍一に会ったのは、彼が音楽家として軌道に乗る前のこと。僕の4枚目のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」のレコーディング中でした。まだ東京芸大の院生で学生だったからか、子どもっぽく見えた気がします。初めて会った翌日リュウイチがスタジオにやってきました。事前にどういう曲をやるのか、コードはどうなのか、まったく説明をしないまま僕が歌いだす。するとリュウイチはピアノでついてきて合わせてくれる。びっくりしました。彼が参加したのは3曲ですが、今聞いても音色がとても深い。その3曲が、アルバム全体の空気を作っているような印象的な存在だと思います。
彼はいつもディスクユニオンの袋にLPレコードを入れて持ち歩いていました。それが面白くて、僕も同じように持ち歩くようになりました(笑)。あるとき、「もっと(曲の構成を)工夫したら?」と言われたことがあって(笑)。僕は基本的には3コードの曲ばかりなのですが、それでちょっと工夫した曲を聞かせたら、「このほうがいいんじゃない」と言われたことを覚えています。考えてみれば、ずっと音楽の勉強をしてきた彼とフォークのことだけやってきた僕が一緒にやってたのも不思議な話ですね。
リュウイチは、その後、いろんな人と会って、セッションして、人の間を魚のように泳ぎながら成長していったんだと思います。その出会いによっては、全然別の方向に進み、映画音楽も作らないしアカデミー賞も取っていない坂本龍一だったかもしれません。
もしずっと生きていたら、また一緒にやることもあったかもしれませんね。そのときもやっぱり即興でピアノを合わせてくれるのかな。
(構成 本誌・太田サトル)
※週刊朝日 2023年4月21日号の記事より抜粋