問題山積の日本社会、どこから手をつけたらいいのか?
五〇年後の日本人が今の日本社会を見たら、どんな反応を示すだろう。そんな風に考えたことがありますか?
二〇一〇年代から二〇二〇年代の日本は、後世の教科書で何と書かれるだろう。少なくとも「すばらしい時代だった」という肯定的な評価でないことは確かです。こんなに次から次へと、低次元な政治の腐敗と堕落を物語る事案が社会に溢れているのに、あの頃は良い時代だったと後世から褒められるわけがない。あまりに次元が低すぎます。
ただ、五〇年後の日本人が今の日本社会を見て「ろくでもない時代だったようだが、今よりはましだ」と思う可能性はゼロではありません。それはつまり、今を生きる我々がこの社会の倫理的堕落と横暴な政治をのさばらせ続けた結果として、五〇年後の日本が今よりさらにひどい状況になっているかもしれない、ということです。
国民の暮らしをないがしろにして、特定の支配層の利益ばかり追求する政治がエスカレートした結果、支配層や富裕層以外の一般国民の生活レベルが極端に低下したり、日本が戦争の当事国になって大勢の国民が命を落としたりするような未来が、この先に待っているかもしれないのです。
特に懸念されるのは、戦後の日本が守ってきた「専守防衛の平和国家」という国是が、二〇二二年十二月に当時の岸田内閣が行った閣議決定で事実上廃棄され、外国を攻撃可能な兵器の保有など、憲法第九条を踏みにじるような方向へと安保政策の舵が切られた事実です。
この岸田内閣の安保政策に関する閣議決定には、戦後の日本で最大規模となる軍事費(防衛費)の増額も含まれていましたが、それによって恩恵を受けるのは、三菱重工業をはじめとする日米の兵器産業です。
三菱重工業は、二〇二〇年から二〇二二年にかけての三年間、毎年三三〇〇万円を自民党の政治資金団体に献金しましたが、二〇二二年十二月の「防衛三文書の見直し」により、日本の軍事費は五年間で四三兆円に大きく増額することが決定しました。これに伴い、三菱重工業の防衛省との契約額は、二二年度の約三六五二億円から、二三年度は約一兆六八〇三億円へと一年で四・六倍に激増しました。
国力に見合わないほどの軍備増強は、国民の生活を犠牲にし、新たな戦争の導火線になることもあります。
日中戦争が始まった一九三七年の前半、日本国民は止まらない物価高騰で生活を圧迫されていましたが、政府はそんな国民の暮らしの窮状などお構いなしに、史上空前の軍事費偏重予算を帝国議会で可決しました。
そして同年七月に日中戦争が始まると、三菱重工業などの兵器産業は軍用機の機体とエンジン、軍艦、戦車などの巨額の発注を受け、受注金額は戦争終盤の一九四四年までうなぎ登りで増え続けました。兵器産業にとって、戦争とその準備段階の軍備増強は、濡れ手に粟のような形で巨額の利益を得られる大きなビジネスチャンスです。