
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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2024年を振り返ると、個人的にはなかなか不気味な年だった。なので明るい思い出を書く。ここへ引っ越してきた9年前からずーっと気になりつつも繋がることができずにいた2人のご近所さんと、ようやく挨拶を交わす仲になったのだ。
一人は、近所の公園で雨の日も風の日も、早朝ひとり黙々と太極拳をやっているおじさん。私も朝が早いので、自転車で横を通るたび「今日もやってるやってる」と勝手にエールを送り続けていた。もう一人は商店街の古道具屋のお兄さんで、髪の長い、イマドキな感じのオシャレな方なんだが、しょっちゅう店の前で常連のおっちゃんと椅子に座ってのんびり雑談をしていて、その風情がなんだか江戸の長屋的でこれまた勝手に親しみを抱いていた。

でもどうもきっかけが掴めぬまま、お二人ともただお見かけするだけであった。でもこれだけすれ違ってるんだから向こうも絶対こっちのことは認識しているはずと、ある日思い切ってペコリと頭を下げてみたら、先方も挨拶を返してくれて、以来、すれ違えばにっこり笑顔を交わす仲になったのである。
ま、それだけのことなんだが、9年もかかってしまったこの歳月を思うと感慨深い。我らは9年間、お互いをそこはかとなく認識しつつ、ゆっくりと相手を観察し「信頼できる」と判断し、ある日ようやく繋がれたのだ。「コスパ」で言えばあまりにも悪い。で、今のところ挨拶しかしちゃいないがよく考えたらそれで十分で、これ以上踏み込んで付き合いたいわけでもないんだよね。自分が「いいな」と思う人が今日も元気に生きている。それ以上望むことなど、考えてみりゃ何もない。
振り返ってみれば、子供の頃は親が転勤族だったし、会社に入ってからも転勤の多い仕事に就いたので、一つのところにこんなに長く住んだのは生まれて初めてである。なので、こんな奥ゆかしい不思議な人間関係ができたのも生まれて初めてのこと。まだこの世には良きことがきっとある。
※AERA 2024年12月30日-2025年1月6日合併号

