佐賀県立佐賀城本丸歴史館に到着した愛子さま。「鯱の門」の弾痕についても「どちらの弾ですか。政府軍ですか」と熱心に質問=2024年10月11日、佐賀市

 佐賀市の中心部にある佐賀城公園に到着した愛子さま。城の本丸表門である「鯱(しゃち)の門」を通って、佐賀城本丸歴史館へと進んだ。

 七田さんは愛子さまと歩きながら、明治期に政府に不満を募らせた江藤新平が率いた旧佐賀藩士による「佐賀戦争(佐賀の乱)」が起こり、この門にも激しい銃撃戦での弾痕が残っていることを同行した山口祥義知事とともに説明した。すると愛子さまから、すぐに質問があった。

「どちらの弾ですか。政府軍ですか」

 政府軍とは、大久保利通が率いて士族の鎮圧にあたった軍隊のことだ。

 また、佐賀城は、佐賀藩の初代藩主・鍋島勝茂のもとで1611年に完成。1726年の火事で本丸、二の丸、三の丸が焼失している。そんな歴史を語る七田さんに、

「天守はその後、どうなりましたか」

 と、愛子さまの質問は途切れることがなかったという。
 

 そして、ここで披露された寸劇の題材が、佐賀県の偉人のひとり、佐野常民。

 愛子さまが今春から勤務している日本赤十字社の創設者だが、蘭学者、医師であり、軍人としては軍艦の艦長まで務めたほか、日本がパリ万博やウィーン万博に参加した際の政府の責任者も担った人物だ。

「マルチな方だったのですね」

 そんな感想を口にしながら、愛子さまは七田さんの説明に熱心に耳を傾けていた。

 愛子さまをはじめ皇室の方々は、訪問した先々で、短時間で膨大な量の説明を受ける。それでも、愛子さまは、わからないところは何度も確認をされるなど、ご自身のなかで情報をきちんと整理されている様子だったという。
 

天皇陛下から、「テレビで見ましたよ」

 七田さんにとって、皇室との接点は初めてではない。これまでに天皇ご夫妻、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、陛下の妹の黒田清子さんなど皇族方を、弥生時代の大規模な集落跡で知られる「吉野ケ里遺跡」に案内している。

 東宮時代の天皇陛下雅子さまは、1996年に吉野ケ里遺跡などを訪れているが、おふたりを案内したのが、発掘現場を担当していた七田さんだ。

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