政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が宣布した非常戒厳令は、わずか6時間後に解除されましたが、韓国にとって戒厳令といえば民主化前の市民弾圧の手段ですから、45年前の「ソウルの春」をなぞるようなことが起きていたかもしれません。ソウルで軍部クーデターが発生した1979年12月12日の19時から翌日4時までの9時間を描いた映画「ソウルの春」は、韓国で動員数1千万人以上という歴史的ヒットとなりました。
憲法77条により、大統領は戦時・事変、またはそれに準じる国家緊急事態で、軍事上の必要や公共の安寧秩序を維持する必要があるときには、戒厳を宣布することができますが、同条の第5項には解除規定があり、今回は国会議員の迅速な評決でことなきを得ました。
恐らく、尹政権としては北朝鮮を挑発して北側からの何らかの軍事的なリアクションを引き出し、それを野党などの反政府勢力と結び付けて非常戒厳を宣布するシナリオを描いていたのではないかと思います。でも、北朝鮮は挑発に乗らず、結局、非常戒厳は一抹の茶番劇で終わりました。
一方で、韓国戒厳軍は実弾を装填していなかったと言われています。45年前の先鋭部隊は、ベトナム戦争での実戦経験がありましたが、今はその実戦経験もなく意識も変わっています。韓国社会は、45年前とは違い、戒厳令を許すような状況ではなく、シビリアンコントロールが軍内部にも着床していることが明らかになりました。
今後は、事実上、大統領を蟄居(ちっきょ)状態に追い込んだまま、与党と内閣が中心になってソフトランディングを図る超法規的な「宮廷クーデター」が功を奏するのか、それとも弾劾訴追を通過させ、憲法に則した野党主導の大統領選挙へとなだれ込むのか、まだ判然としていません。ただし、近々、大統領逮捕も想定される以上、事態がどのように収束していくのか、予想は立て難いですが、暴力的な衝突は避けられそうです。
いずれにせよ、今回の非常戒厳の解除で明らかになったのは、三権分立の中で国会、立法機関が民主主義の最後の砦であるということです。そこから学ぶべきことがあるはずです。
※AERA 2024年12月23日号