矢口太一さん(撮影/朝日新聞出版写真部映像部・和仁貢介)
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 地方公立校から、塾ナシで東大合格も仕送りはナシ。「お金がなくて、何度も一人で泣いていた」男性が、今では東大大学院に在籍しながら大手上場企業で業績を上げ、活躍の場を他社にも広げている。矢口太一さん初の著書『この不平等な世界で、スタートラインに立つために』で明かした、上京時の胸がつぶれそうな不安や恐怖、そして上京直後に受けた衝撃の場面を抜粋・再編して掲載する。

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 東京大学への進学が決まってからの2か月弱の期間は、引っ越しの準備と奨学金探しに追われていた。

「日本一の大学に行くんだ、きっと奨学金があるに違いない!」

 ずっと伊勢で育った僕は、「日本で1番の大学」に通う東大生は日本の将来を背負う人材なのだから、貧しくても、素晴らしい支援や奨学金が、国や大学、民間からも、きっと受けられるに違いない! そう信じていた。

 商売の家の長男として、家業の状況は兄弟の中で一番敏感に感じている。

「今、お金ないな」

 なんならここ5年くらいで一番よくない。今、僕が「大学に行くから」とこの家に出費を強いれば、早晩立ち行かなくなることはわかっている。「奨学金を借りる」と言えば、きっと両親は月に1万円でも仕送りをしようとするはずだ。ただ、今の我が家ではそのわずかなお金も命取りになる。そのことは僕が一番よくわかっている。僕は家族には1円もお金の迷惑をかけない、と決めた。というよりも大学進学後に仕送りがないことは、言葉にしないけれど「暗黙の了解」のような形でいつの間にか家族の間で決まっていた。

 ネットでひたすら検索し、奨学金をリストアップしていく。

 休みが続き、気が抜けて昼から寝転がっていた僕は、パソコンを開いてFacebookを眺めていた(大学1年生の9月までスマホを持っていなかった)。するとある投稿が目に留まった。知らない投稿者だけど、「友達」がいいねをして、流れてきたみたいだ。

「孫正義育英財団という財団ができた。異能を支援する財団で、国際大会や国内大会で優秀な成績を収めた者などが選ばれるらしい」

 ふーん。せっかくだし、応募してみるか。今まで調べていた奨学金とはちょっと毛色が違う募集要項だけれど、出すのはタダやんな? と、思い切って応募してみることにした。必要事項を入力して送信する。

 この何気ないエントリーが、その後の大学生活4年間を左右するとはその時は思いもしなかった。

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