2024年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期(7月1日~11月30日)に多く読まれた記事を振り返る。スポーツ編の4位は「1年で戦力外『何で獲った』と批判の声も…新天地で“爪痕”残せなかった人的補償の選手たち」(7月21日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま)
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高額年俸(ランクA、B)のFA選手の移籍の見返りとして、その選手を譲渡する球団に対して行われる人的補償。1軍での実績が少ない若手・中堅選手が多く選ばれ、赤松真人(阪神→広島)や一岡竜司(巨人→広島)らのように、新天地で主力になった出世組もいるが、その一方で、移籍後、早々と戦力外になってしまった選手もいる。
わずか1年で戦力外になったのが、森友哉の人的補償でオリックスから西武に移籍した張奕だ。
台湾出身で、陽岱鋼(現オイシックス)を従兄に持つ張は、走攻守三拍子揃った外野手として16年の育成1位でオリックスに入団。だが、1年目にウエスタンで打率.091とまったく打てず、「このままではクビかな」と悩んでいた矢先、以前から球筋の良さに目をつけていた酒井勉コーチの勧めで、18年のシーズン途中から投手としての練習も始めた。投手登録された翌19年には、5月に支配下をかち取ると、1軍で主に先発として8試合に登板し、2勝を挙げた。
20年にも2勝を挙げ、21年に2軍戦で最速157キロをマークした右腕は、22年オフ、森の人的補償として西武への移籍が決まる。平良海馬が先発に転向し、手薄になる救援陣の補強が狙いだった。
だが、“ポスト平良”の期待も、移籍早々の2月に右肩の炎症が見つかり、チャイニーズタイペイ代表として出場が決まっていたWBCも辞退。シーズン開幕後、1軍でリリーフとして5試合に登板も、慢性的な右肩痛で防御率9.00と結果を出せず、10月に戦力外通告を受けた。人的補償選手を1年で解雇する異例の事態に、球団関係者から「何で獲ったんだ」の声も出たという。
その後、12球団合同トライアウトを受験した張は、最速148キロをマークも、NPBからオファーはなく、「自分の母国に戻ってプレーする」と決意も新たに台湾プロ野球の台綱ホークスと練習生として契約。今年の6月に行われたドラフト会議で富邦ガーディアンズから指名を受けた。