かつて赤塚不二夫さんや忌野清志郎さんを偲んだ時もそうだった。対象者が大きな存在であればあるほどエピソードに事欠くことはない。
しかし周知のエピソードを並べるだけでは総花的になってしまう。ラジオは一対一のメディアである。喋るのも聴くのも一人。故人があたかも自分の友人や家族のように思ってもらわなければならない。そのためにちょっとした仕草や着ていた洋服の色、好きだった草花とか愛した人とか、本業とかかわりのない、あくまで個人的な事柄を探し、手柄話などの大きな話を徹底的に削る。
故人に作り手の思い入れがありすぎると削りが甘くなる。マイクの前で故人と親しかった人が感情に打ち震えながら思いをほとばしらせる際もラジオ番組のスタッフは冷静になる。
生け花の池坊は空間の芸術といわれる。花の枝を削りに削り、その背景にある空間を際立たせる。盛らない。ラジオも同じ。聴き終わった後にリスナーの心に浮き上がる「空間」こそが故人が過ごした日々の余韻である。
「ラジオは俳句だよ」。俳人でもあった清水哲男さんはそう教えてくれた。俳句もぎりぎりまで言葉を刈り取る。追悼番組に関わるようになって、ようやく清水さんの教えがわかってきた。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中
※週刊朝日 2023年4月21日号