あらゆる条件が有利に働いた信長方
平山:『信長公記』では、時系列としてまず織田方佐々政次(さっさまさつぐ)の軍が攻めてくるが壊滅してしまう。そこで義元が喜ぶとなっています。その直後に信長が出てくるわけです。
『信長公記』をどう読むかにかかっていますが、中島砦の兵が敗れた。信長はその間に善照寺砦から扇川(おうぎがわ)を渡って中島砦にやってくる。佐々氏らの攻撃は信長が移動する際に、あっちは道が狭くてダメだと時間を稼ぐためにやったような気がするんですよね。
千田:記述を見ただけでは、佐々氏らの突出した動きが無駄死みたいにしか読めませんが、つながっているとすれば、信長主力軍の移動を実現した攻撃として非常に意味のあることになりますね。
平山:信長が移動する時間を稼いだ、その直後に大雨が降る、ということではないかと思います。
信長が善照寺砦から中島砦へ移っていく。中島砦あたりは今川方からよく見えますからね。ところが、雨が降ってきた。信長が中島砦に入って動き出しているのが今川方には見えていなかったのではないかと思います。
千田:これまでドラマでは、義元の旗本たちが「勝った、勝った!」とお酒を飲んでみんなだらけていたから気がつかなかったなどと描かれてきましたが、気象状況のために物見をしている人たちは雨で見えない。戦況を把握できていれば、そこまでの負けはなかったでしょうね。信長方は二千人の軍勢ですから、まったく気がつかないというのも考えにくいです。
平山:いろんな条件が重なって、信長の軍勢の動きが周辺の部隊から見えにくい状況のうえに、曇りになってきてさらに見えなくなってきた。そのうえ大雨が降ってきたのでまったく視界がきかなくなった。その状況をものともせずに信長たちは突撃してきた、ということかなと。
千田:これから新しい史料が出てくればまた別ですけれども、なかなかそれ以上は難しいですね。
平山:今のところね。それ以上わかりません。
千田:将来的には丸根砦の調査の計画があると聞きます。国の史跡になっていますので、本格的な史跡整備をするということになれば、発掘調査を実施するはずです。大高城以上に再利用がないところですから、具体的な様相がわかると、もう少し考える手がかりが出てくるのではと期待しています。
平山:大高城や丸根砦の発掘調査が進むと、桶狭間合戦の姿がよりはっきりと見えてくるでしょうね。