復活を願った「殯」の儀式
一般の本葬にあたるのが、26日に営まれた「斂葬の儀」だ。
久水さんによると、「斂葬」は近代以降の名称で、「斂」は埋葬を、「葬」は告別のことを指すという。
「斂葬の儀」では、棺前に米や酒が供えられ、宮内庁楽部が雅楽で葬送曲を奏でる。
本葬までには、一般の納棺にあたる儀式「お舟入(ふないり)」や、ご遺体に別れを告げる「拝訣(はいけつ)」、柩を通夜の部屋に移す「正寝移柩(せいしんいきゅう)の儀」、位牌にあたる「霊代(みたましろ)」を「権舎(ごんしゃ)」と呼ばれる邸内の部屋に安置する「霊代(れいだい)安置の儀」などの儀式が営まれる。
しかし、天皇、皇后両陛下、そして上皇ご夫妻は弔問のみで参列はしない。「斂葬の儀」でも両陛下の側近が勅使、皇后宮使として拝礼し、上皇ご夫妻も使いを出した。
儀式に参列しない理由は明文化されておらず、「まさに慣例です」と久水さん。
「しかし、中世でも公式には参列していないものの、天皇がひそかに父帝や妃である皇后など身内の葬儀を見守った事例も記録に残っています」
そして特徴的なのが、天皇や皇族が亡くなった際の一連の儀式の期間の長さだ。
当時天皇であった上皇さまは、2016年8月、退位の希望を国民へ向けて提起したビデオメッセージのなかで、そのことについても述べられている。
「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が1年間続きます」
皇族である百合子さまの場合は、天皇よりは短いものの、亡くなられた翌16日から一般の納棺にあたる「御舟入」や一連の儀式が営まれ、さらに26日には本葬の「斂葬の儀」と三笠宮家の墓に埋葬される「墓所の儀」など、一連の葬儀は1年後の「墓所一周年祭の儀」まで続く。
上皇さまがメッセージで述べられた「殯」とは、古代においては「招魂」と「鎮魂」、そして「死の確認」の儀式だった、と久水さんは言う。
「まずは、生き返ることを願って亡くなった人の魂を歌舞などで呼び寄せる。それがかなわない場合は、霊魂を慰め、亡骸が朽ち果てていくさまと死を確認する。その間は米や酒を絶やさず供える。何段階もの儀式を経るため、どうしても安置する期間が必要になります」
かつて皇室も、その一連の儀式ごとに亡骸に対面して、その身体が朽ちる様子を見届けていた。だが、平安時代に薄葬の風潮が強まると、「殯」の風習も消えていった。
そして明治政府のもとで、古代国家で営まれていた葬送儀礼とともに「殯」も復活した。
こうした現在の皇室儀礼の多くは明治から大正の時代に再構築され、慣習としていまも運用されているという。