創業117年の歴史を誇る名古屋の銘菓「鯱もなか」を営む先代夫婦は店を畳むことを既に決断していた。潮目が変わったのはコロナ禍。販売激減のなかで講じた娘夫婦の一手が老舗を救う。妻とともに店を切り盛りする専務古田憲司氏がいきさつを綴った「鯱もなかの逆襲」(ワン・パブリッシング)から一部抜粋し、復活の物語を紹介する。
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僕と妻(花恵)が4代目を務める「元祖 鯱もなか本店」は、1907年(明治40年)に妻の曾祖父(ひいおじいさん)である関山乙松が名古屋市の御園町(現在の御園通)に開いたお店です。
創業当時は「ますや菓子舗」という店名でした。それが、1921年(大正10年)に発売した「元祖 鯱もなか(以下、鯱もなか)」が大ヒット。瞬く間に看板商品となり、ついには現在の店名になりました。
名古屋城の天守閣に鎮座する金のしゃちほこをモチーフにした特徴的なフォルムと、こだわり抜いた素材による味わい、店舗で作って提供する出来立ての味が受けたのだと思います。何より、名古屋城の金のしゃちほこは、尾張名古屋のアイデンティティですから。それは令和のいまでも変わりませんよね。
その後、1945年5月の名古屋大空襲によって名古屋城や御園座(名古屋市伏見エリアにある劇場)が焼失し、うちの店も全焼してしまいますが、それでも諦めなかった曾祖父は、現在の店舗がある大須に場所を移して再スタートを切りました。以来、2代目、3代目と、ここ大須の地で店を守ってきたのです。
廃業を静かに決意した先代
117年以上の歴史を誇る元祖 鯱もなか本店ですが、3代目であり僕の義父である関山寛は、自分の代でこの店を閉じようと決意していました。最初から、子どもたち(妻と義兄)に店を継がせる気がまったくなかったのです。
理由はハッキリしています。それは、店を経営することがどれほど大変なことか、先代自らが身をもって体験してきたから。