安定している=手慣れている

 そんな感じで、別に私はハイペースで安定して書いてきたわけではないのですが、一つ言えるのは最も平均枚数の多かった二、三年の間に書いたものは、必ずしも気に入っていないということです。安定したペースで書いていたということは、悪い言い方をすれば手慣れてしまって、小手先のテクニックで自分が書けるとわかっているクオリティのものを量産していた時期でもあるからです。当時書いた本を読み返すことは滅多にないですが、別にめちゃくちゃつまらないわけでも、駄作ばかりというわけでもないとは思いつつ、器用さで書けてしまっている感は否めません。それはフィクションであれエッセイであれちょっとした映画コラムや書評であれ、そうです。

 それに対して、自分が比較的好きな作品を書いた時のことを思い出すと、一カ所の形容詞が気に入らなくて、その七文字を削ったり書き直したりしていたら一日経ってしまったということもあれば、図書館でトイレも行かずに二十枚以上書いた日もあるという調子でまったく安定しておらず、時に連載の原稿を休んでいることすらありました。それに、安定して器用なコラムを量産していた時に比べて、ものによっては文章のリズムが悪くかったるいし、全然面白くないエッセイもあるし、書きたいことはあったはずなのに書いているうちに見失って何が言いたいのかわからなくなり、すべて消してしまうようなことも多かったと思います。

 今ももしかしたら安定したペースでそこそこのものを書くことはできるかもしれません。それはおそらく新聞記者、つまりサラリーマンライター時代に、気が乗らなくてもつまらなくても書くという訓練をしたからかもしれないし、もともとのある程度の器用さがあるからかもしれない。そういう能力が必要な持ち場というのはあります。生活系の記事が多い、地方面の担当記者だった時にはとにかく一枚の新聞紙を安定した内容の記事で埋めなくてはならなかったし、週刊誌でもインタビュー系のウェブサイトでも、とにかく分量とスピードが求められる場所というのはあるからです。

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