昨年3月にウクライナ・マリウポリに入ったマンタス・クヴェダラヴィチウス監督によるドキュメンタリー「マウリポリ 7日間の記録」。戦闘シーンなどなしに爆撃音のなかで暮らす人々の営みを、静かに描き出す。撮影後、ロシア軍に殺害された監督の遺志をフィアンセだった助監督や、ナディア・トリンチェフプロデューサーらが継いで完成した。連載「シネマ×SDGs」の48回目は、本作への思いをナディアプロデューサーに聞いた。
* * *
マンタス監督(享年45)に会ったのは10年以上前です。彼がチェチェンを舞台に撮ったドキュメンタリーを観たとき、私は兵士や戦車を登場させずに、ここまで戦争を雄弁に語る映画を知りませんでした。遺作となった本作にもその点で共通点があると思います。
マンタスはほかの監督とまったく違いました。社会人類学の博士でもある彼は、人々を観察し対話し、その懐に入り込むことができました。市井の人々の日常を静かに見つめ、しかしその内面には嵐のような強さを持っていました。知的で繊細で、そして非常にハンサムでした。彼のまなざしは相手を思いやり、注意深く相手を見つめています。そして相手と時間をかけて信頼関係を築くのです。
監督の死後、私は助監督のハンナからテープを受け取り、彼の過去2作の編集をした編集者に観てもらいました。リトアニアでの彼の葬儀のさなか彼女は「これなら映画を作れる」と言ってくれた。凄まじくつらい経験をしたハンナにも編集に参加してもらいました。一人でいるよりも、忙しくしていたほうがいいだろうと私は判断したのです。監督と関わりのあった人々がチームとなり「喪に服す作業」として本作が完成しました。
マンタスが、そして私たちが彼の遺志を継いでこの作品で試みたことは、戦渦の日常を、現地の日常をそのままに伝えるということです。砲撃と破壊のなかでも人々は互いを思いやって生きています。ひなたぼっこをし、なるべく美味しいスープを作ろうとする。最悪の状況の中で最高のことをやろうとしている。スペクタクル映画ではない視点で「戦争」をみることで人間についての学びがあると思うのです。彼は物理的にはいなくても、間違いなくこの映画のなかに存在していると思っています。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2023年4月17日号