「真っ暗」だった時間

 妖怪役は初めてだから、最初は恐る恐る、少し無難な感じで演じていたのかもしれません。三池(崇史)監督に「もっとやっていいんじゃない?」と指摘されました。このルックスでもバレるんだと驚きましたが(笑)、そこからは思い切ってやれました。すごく優しいテーマがある作品なので、かつての僕のように、子どもたちにも興味を持って見てもらえたらうれしいです。

――幼いころから映画を見てきた下地もあり「人を楽しませたい」と役者を志した。20歳で上京し、演技レッスンを始めたが「2年間くらいは真っ暗な状態が続いた」と振り返る。

 上京したての頃は、お芝居のことがまったくわからないし、思ったように演じることができずに、苦しい時期が続きました。いろいろ捨てて上京したのに、将来の夢を思い描くこともできない、ホントに「真っ暗」という表現がぴったりの期間でした。それまでは楽観的に「なんとかなるでしょ」という精神でいたんですけど、だんだん何ともならないことを知って、明るかった性格もガラッと変わって……。ただ、つらい時期ではあったけど、早々に自分の力量、身の丈を知って無駄な過信がなくなったのは、その後の自分にとってすごく大きなことだったと思います。

――少し光が差したと感じたのは21歳の終わり。オーディションで役をつかんだ、映画「通学シリーズ 通学途中」で、自分の名前が初めてスクリーンに流れた。喜びと同時に、己の演技の未熟さが悔しく、涙も溢れた。そんな経験を経て6年、「出演したすべての作品が転機になった」と感じるほど、一段一段、地道に積み上げてきた。

楽しかったと思いたい

 今度は自分に厳しくなりすぎて、肯定してあげることが苦手になってしまって。自分を認めてあげたいと思いつつも、気持ちは反省する方に向かってしまう。苦しくなることも多かったんですが、コロナ禍の自粛期間で一人の時間が増えて、自分と向き合ったことで少しずつ変わってきました。人生観みたいなものも考えるようになって、僕はやっぱり人生に対して「楽しかったな」と思いたいなと考えたんです。そうすると、反省はあってもいいけど、自分がやってきたことはちゃんと認めてあげたいという心境になりました。やっと自分を肯定する術を手に入れたんです。

 その後、1度目の緊急事態宣言明けに撮影に入った連ドラが「チェリまほ」でした。それが世界中の方から愛されて、いろいろな意味で自分を肯定してくれる作品になった。めちゃくちゃ大きい、僕の心の支えですね。

――「チェリまほ」の安達があまりに当たり役だったせいか、いまは何をしても「かわいい」と言われるのではないか。

 ドラマが終わった後も引き続きそう見てもらえることは、それだけ愛されるキャラクターだったということ。狙っていたことでもあったのですごくうれしいです。だけど、僕がそんなふうに言われるのは「かわいい」に対して失礼じゃないか、という思いもあります(笑)。これからどう「かわいい」を乗り越えていくのか、それともこのまま行くのか。それは今後の課題かもしれません。

(ライター・大道絵里子)

AERA 2021年7月5日号

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