10月、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)のノーベル平和賞受賞が決まった。被爆者の高齢化が進む中、「核のない世界」を実現するのは、次世代の若者たちだ。核の問題を社会に問いかける、20代の若者2人に話を聞いた。AERA 2024年11月25日号より。
【写真】核廃絶を「仕事」とするため「かたわら」を立ち上げた高橋悠太さん
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被爆者が懸命に訴える姿には、人を動かす力がある。
核のない世界を目指す若者グループ、一般社団法人「かたわら」代表の高橋悠太さん(24)。「核廃絶ネゴシエーター(交渉人)」を名乗り、核に関わる政策提言や学校で講演などを行う。今年9月に米国で開かれた国連の「未来サミット」の核問題に関するイベントでは、広島・長崎のメッセージを伝え、核軍縮のプロセスに若者の声を反映させるよう訴えた。
高橋さんが核の問題に本腰を入れるようになったきっかけは、広島県福山市の中学校に通っていた時。部活動の一環で、核廃絶に向けた署名活動や被爆証言の聞き取りなどを行っていて、被爆者で核兵器廃絶を訴え続けた坪井直(すなお)さん(21年に96歳で死去)から話を聞いて、衝撃を受けた。
坪井さんは20歳の時に広島で被爆し、全身に大やけどを負った。やがて結婚を考える女性ができたが、女性の家族から猛反対された。追い詰められた2人は睡眠薬で自殺を図るが、一命を取り留めその後2人は結婚できた……。その話を坪井さんは、涙をポロポロ流しながら高橋さんにしてくれた。
「本当は一番話したくないことだったと思います。でも、後世のために語る姿にびっくりして、行動する勇気をいただきました」
慶応大学への進学で上京すると、友人と一緒に核廃絶の活動を始めた。被爆者と会いSNSで情報発信をし、オンラインで被爆者の証言の会などを開催。仲間は増えていったが就職や結婚などのライフステージの変化で多くが離れていった。そんな最中の22年2月、ロシアのウクライナ侵攻が起きた。
「核軍縮の針が一気に20年ぐらい逆回転した感じがありました」