大維志くんは中3のときに猛勉強して、佐久長聖高に進学。今年に入って米国へ2週間の短期留学をしたという。

「海外の空気が合うんでしょうね。ホームシックとかは全然なくて本当に楽しかったって言っていました。医者は中学に入って早々に『なりたくない』って言って、今は海外の大学に進学して起業したいと。自分のやりたい道に進めばいいんですよ、でも、『夢は夢で終わらせたらダメだよ』とは伝えています」

 夢を夢で終わらせない――それはまさに、ジャガーさんの生きざまだ。15歳でプロレスラーになり、1つずつ目標を達成してチャンピオンになった。46年経った61歳の現在も現役でリングの上に上がり戦い続けている。鬼の形相で相手を圧倒する姿は、謙虚で穏やかな普段の口調から想像がつかない。「レスラーじゃない自分が想像できない。もう引退はないですね。できなくなるまで続ける。私の遺影はプロレスの遺影になります。年齢を重ねることで筋肉量、跳躍力など落ちている部分がありますが、それを見せないパフォーマンスをするのがプロです。試合前に『私はジャガー横田、ジャガー横田、誰よりも輝ける、強いんだ』ってスイッチを入れています。ずっとジャガー横田だと疲れちゃいますから」と話す。繊細な人なのだ。

 年間300試合出ていた時期は、骨折しても休まず試合をこなすことがリハビリだった。肉体も精神も鍛えられ、大きなケガがない限りテーピングを施すことはない。毎日のストイックなトレーニングの賜物だろう。腰痛、肩こりになったことが人生で一度もないという。44歳で大維志くんを授かったことが判明したときも、5試合の興行が決まっていたため、リングに立った。

 「進む方向は違いますが、やり通す姿を息子に見せたいという思いはあります。実際に観戦に来るときがあるので、恥ずかしい試合は見せられないですから」

ジャガーさんが出場した試合後に「どうだった?」と大維志くんに聞くと、「いいんじゃない」と返ってきたという。思春期で照れくささもあるのだろう。でもその一言で十分だ。両親と離れて暮らす日々だが、強い絆で結ばれている。(今川秀悟)

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