試合後、捕手・小野公誠からウイニングボールを渡された宇野は「部屋に飾ります。あっちこっちでクビになって、心配かけた両親に報告したい」と感無量の面持ちだった。翌8日の巨人戦も9回を3者凡退に抑え、同18日の阪神戦で矢野輝弘にプロ初被弾を許したものの、リリーフ登板6試合で防御率3.60。プロ入り後、最良の1年となった。
翌06年もイースタンで自己最多の44試合に登板し、3勝3敗3セーブ、防御率4.30を記録したが、1軍からは声がかからなかった。
プロ最終年の07年は、2軍でも登板14試合と出番が減り、2勝1敗、防御率7.16。シーズン後に3度目の戦力外通告を受けてユニホームを脱いだが、「3球団にわたってプレーすることができたこと」(同年12月12日付・スポーツニッポン)を一番の思い出に挙げている。(文・久保田龍雄)