湘南鎌倉総合病院院長、小林修三。湘南鎌倉総合病院は、徳田虎雄が創設した徳洲会グループで、「24時間・年中無休の救急診療」を受け継いでいる。その院長である小林修三は、徳田の最期を主治医の一人として看取った。内科医として、日々、患者へも向き合う。救急は外科医が花形になるが、それを支える内科も麻酔科も重要。院長として総合力を高め、健康と命を支えていく。
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今年7月初旬、徳洲会湘南鎌倉総合病院のA棟15階の特別室で、小林修三(こばやししゅうぞう・69)は重大な判断に直面していた。14年間、主治医として診てきた患者の治療が限界にさしかかったのだ。
患者の名は、徳田虎雄。傘下に77の病院と、4万3千人以上の職員を抱える徳洲会グループの創設者だ。小林が徳洲会に入職したときの総帥でもある。
徳田は「生命だけは平等だ」と唱え、ゼロから巨大病院グループを築いたが、60代で難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。全身の筋肉がやせ細り、力を失った。気管を切開して人工呼吸器をつけ、胃ろうで栄養を補給する。
小林が医療チームを率いて主治医に就いたころ、徳田はベッドの背もたれを上げ、秘書が持つ透明な文字盤にギロリ、ギロリと視線を向けていた。視線の先の文字を秘書が一つずつ指して周囲に意思を伝える。徳田は声も出ず、身体も動かない状態で、病院運営の指令を発していたのだ。
やがて体力が衰え、腎不全となり、2017年に人工血液透析が装着される。腎臓内科医の小林は、緻密な全身管理をして徳田の命をつないだ。
その徳田の寿命が尽きかけていた。
小林は、特別室の隣室で徳田の親族と会い、病状を説明した。終末期の「インフォームド・コンセント(説明と納得・同意)」にとりかかる。その場で、いたずらな延命処置はしないと決まる。
7月10日午後8時15分、徳田は86年の生涯を閉じた。ようやく全身不随という肉体の檻(おり)から徳田の魂は解放されたのだった。