南直哉氏
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 人を失えば、必ず後悔が残る。それを打ち消すには無理がある。切なさを抱いたまま生きていく。そう腹を据え、悲しむ作法を身につけたい。禅僧・南直哉氏の著書『新版 禅僧が教える 心がラクになる生き方』(アスコム)から一部を抜粋し、身近な人の死とどう向き合うべきかを考える。

【写真】喪失感を抱える人のためのグリーフケア第一人者はこの人たち

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 亡くなった人への後悔が残るのは、当たり前のこと。

 無理に打ち消そうとせず、

 その後悔を抱いて生きると腹をくくれば、

 いつか、そこに「意味」を発見するときが来ます。

 大切な人を亡くした後、「ああすればよかった」「これもしてあげたかった」という後悔は必ず残ります。

 「年老いた親に、なぜもっと優しく接しなかったのだろう」

 「あの病院に入院させたのは、間違いだったのではないだろうか」

 そんな後悔や迷いを抱えた人が、私のところにも時折いらっしゃいます。

 あるとき知人から、がんでご主人を亡くした女性に会ってほしいと頼まれました。彼女は、ご主人に最期までがんを告知することができなかったことを今でも悔やみ、うつ状態に陥っていました。

「もし夫が自分の病気を知っていたら、残された時間でやりたいことができたのかもしれません。でも、どうしても言えなかった。知らせることができないまま、逝かせてしまったんです」

 女性は、そう言って自分を責め続けていました。

 私から言わせれば、ご主人はもうこの世にいないわけですから、今さらどうしようもないことです。しかし目の前の女性は、いまだそのことで自分を強く責めている。今できることは、彼女の〝せつなさ〟をどうにかするしかありません。

 私はイチかバチかで、こう聞きました。

「ご主人は、頭のいい人ではありませんでしたか?」

 彼女は「はい」と答えました。

「たぶんご主人は、病名を知っていたに違いありません。だって、聡明なご主人だったのでしょう? 手術しても治らず、日に日に具合が悪くなっているのだから、ただ事ではないと思うのが普通です。あなたが何も言わなくても、自分の病気については気づいていたはずですよ」

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女性が言ってもらいたかった一言