10日放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、第43話「輝きののちに」。千年の時を超えたベストセラーとなった「源氏物語」を書き続けた紫式部(吉高由里子)と、時の権力者・藤原道長(柄本佑)との関係を軸に、平安時代に生きた人たちの姿が描かれている本作品。紫式部が身を置いた平安貴族の世界は、どんなものだったのか。『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)から紹介した記事を、あらためて紹介する(この記事は「AERA dot.」に2024年1月14日に掲載した記事の再配信です)。
(2024年11月10日更新)
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2024年の大河ドラマは、吉高由里子演じる紫式部が主人公の「光る君へ」。紫式部と藤原道長の関係を軸に、1000年の時を超えて読み継がれるベストセラーとなった『源氏物語』はいかにして生み出されたのかを描く。主人公たちが身を置いた平安貴族の世界の実際を、『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)で予習しておきたい。今回は、人間関係について。
『源氏物語』には、光源氏が友人・頭中将(とうのちゅうじょう)らと、好みの女性を語り合うシーンが描かれている。実際、貴族の間では和歌が得意な貴族に自作の和歌の添削を求めたり、蹴鞠をしたりと交流があったようだ。
このようなコミュニケーションは、男性貴族にとって出世や妻選びなど人生に直接関係し、かなり大切にされた。とはいえこういった付き合いは貴族同士に限られ、従者に対しては支配的な態度を崩さなかった。
一方で女性貴族も、女同士の友情を育んでいたようだ。清少納言は著書『枕草子』の中で、主人である中宮・定子(ていし)から「冗談をいわれてどうリアクションすればいいか困った」とつづっており、立場を超えた友情関係がうかがえる。
紫式部も、若い頃に友人である貴族の娘と和歌を交換し、落ち込む相手を慰める手紙を何通も書き残している。
しかし、交流を深めれば、起きてしまうのが喧嘩だ。優雅で華やかなイメージの平安貴族だが、実際は喧嘩っ早かった。
天皇のいる内裏で喧嘩が起きることもあれば、宴席で殿上人たちが下級貴族を相手に殴る蹴るの暴行を加えたという記録も残っている。
例えば、内裏の紫寝殿、つまり天皇が住む建物内で、後一条天皇が相撲見物をしている目の前で、藤原経輔(つねすけ)と源成任(なりのぶ)が取っ組み合いの喧嘩をしたことがある。花山法皇の袖が矢で射貫かれる、という事件も起きた。法皇と女性関係でもめていた藤原伊周(これちか)・藤原隆家(たかいえ)が計画したものだったとされている。