「型」は子供時代に学んでいる
あいさつの仕方をはじめて学ぶのは、たいてい子どもの頃です。「自分からきちんとごあいさつをしなさい」と、親が子どもに伝えている場面に出くわすこともあります。
子ども時代は、大人が必要以上に怖くも感じられます。だから、かすかに聞こえるような小声で「……こんにちは」と伝えるような子もいます。
それでも昔は、大人が子どもの頭を手で押さえつけながら、「もっと大きな声で言いなさい!」とお辞儀をさせたものです。多少強引にでも、あいさつの大切さをわからせたこともあったかと思います。
このように、家庭の教育方針としてあいさつが必須だった人がいることでしょう。誰かに出会ったときや別れる際の礼儀として教えられたのではないでしょうか。人として必ずしなければいけないことだ、と。
でも、なぜあいさつをしなければいけないのかと聞かれたら、悩むこともあるでしょう。いい歳をした大人でさえ説明できないこともあります。「人として……」とまで言われたにもかかわらず、わかっていないこともあるのです。
それだけ子ども時代には、意味や価値を度外視して物事を学んでいるものです。そして、大人になっても意識をせずにしている行動がたくさんあります。
小学生のときに、学校で「あいさつ運動」があった人もいるかと思います。習慣化するねらいから、特定の期間に先生や子どもたちが正門の前に立って、一斉にあいさつをする取り組みです。
子どもだからこそ、疑問を感じずに素直にやっていたこともあったでしょう。子どもは純粋です。だから、理由がわからなくても、あいさつを「型」として学習することもできるのです。
しかし、大人になる過程でもあいさつをするべき理由に気がつかなかったり、そのことに納得ができなかったりした場合は「あいさつ不要論」へとつながっていくのでしょう。
相手の反応を見て「意味」を学習する
「あいさつ」の意味や価値を親から教えられていなくても、「型」として習慣が築かれている子は、おそらく大人から多くの肯定的な声かけをされてきているでしょう。
こんな声かけをされながら、相手の反応を見てあいさつの意味を学習しています。
「あいさつをする自分」は大人から好ましく思われることを知るのです。目上の人からかわいがられるという事実を理解していきます。
親が子どもに対して「Aさんにはお世話になっているの。会ったときには、必ず自分から笑顔であいさつをするのよ、いいわね? 約束よ」なんて、強く言い聞かせることもあるかもしれません。
こうした声かけには「年上の方に対する礼儀」という意味もあれば、「その人は特別」という意味も含まれています。
Aさんを強調すればするほど、子どもはあいさつという所作に差異があることも学ぶのです。