楳図かずお
この記事の写真をすべて見る

「漂流教室」「おろち」などで知られ、恐怖漫画の第一人者だった漫画家の楳図かずお(うめず・かずお、本名・楳図一雄)さんが10月28日、死去した。88歳だった。2012年に週刊朝日でインタビュー。漫画が大ヒットした30代の忙しかった時期や、恐怖の原点、断筆について語っていた。楳図さんを偲び、週刊朝日2012年4月6日号の記事を配信する。(年齢、肩書等は当時)

*  *  *

 「グワシ!」のポーズでおなじみの恐怖漫画の第一人者、楳図かずおさん(75)。高校在学中にプロ漫画家としてデビューし、1975年に、タイムスリップした小学生たちのサバイバル『漂流教室』ほか一連の作品で、小学館漫画賞を受賞した。その翌年、ギャグ漫画『まことちゃん』が大ヒット。楳図氏が30代の忙しい時期を振り返る。

 怖い漫画ばかり描いていると、自分が"怖いパターン"にハマってしまう感じがあります。だからシリアスな『漂流教室』のあと、ギャグ漫画『まことちゃん』を描いたんです。そうやって自分のなかで「陰」と「陽」のバランスを取っていたんだと思います。

 30代はめちゃくちゃ忙しい時期でした。月刊誌3本、週刊誌3本の連載があって、読み切りがその間に挟まって、凄まじい生活でした。僕の絵は細かくて時間がかかるので、午前4時まで仕事して、朝8時に起きてまた仕事。1日4時間も寝られなかった。でも、いま見ても手抜きは全然していないんですね。それと締め切りを一度も落としてないのが自慢です。それくらい一生懸命にやっていた。

 僕、田舎にいた24歳のころ不眠症になって、2時間しか寝られない生活が4年続いていたんです。だから20代、30代はほとんど寝ていなかった(笑)。

 漫画を描いて楽しいなんて通り越して、苦しいほうが強かったですね。そうやって生んだものが人気として返ってくるのは一番の喜びでしたけど、毎日、「明日死ぬ」って思いながら描いてました。

※週刊朝日 2012年4月6日号