6000メートルを超えると、別世界
1年半にわたる準備期間を経て、9月5日、5人はネパールへと出発した。首都カトマンズに着くと中沢さんが感染性の胃腸炎で40度近い高熱を出したり、山に向かう途中の村で井之上さんがスマートフォンを盗まれたりとピンチにも見舞われた。それでも標高3000メートル、4000メートルと少しずつ体を高所に慣らし、21日には無事4700メートル地点にベースキャンプ(食料や資材を置いておく基地)を設営した。
しかし、酸素濃度が地上の約半分となる6000メートルを超えると、これまで経験したことのない世界が広がっていた。
「山の西側の斜面を登っていたので、朝は-20℃近くまで気温が下がりました。体の末端まで酸素が回らないので、指先を動かして血を送り続けないと凍傷になりかねない。日本の冬山とはレベルが違う寒さでした」(尾高さん)
「高山病で頭が痛くて、なかなか寝つけない。ここまで高度が上がると、順応より消耗のスピードのほうが速いので、長居はできませんでした」(横道さん)
未踏峰ならではの困難もあった。2年前の遠征隊は6100メートル地点で撤退しており、その先の情報がない。6200メートル地点に入るとクレバス帯が出現し、足止めを食らった。なんとか突破するも、その先の切り立った岩を越えるには手持ちのロープでは足りず、やむなく最終キャンプ地に引き返した。
自分たちが進む道は、果たして頂上までつながっているのか……。不安を抱えながらも、1週間後、装備を増強して再び山頂を目指す。
10月12日午後0時19分。ついに、5人そろってプンギの頂を踏んだ。
「6524メートル、人類初登頂!」
「ふぉーーー!!!」
遮るもののない見渡す限りの青空に、雄たけびと歓声が響いた。だが、喜びを爆発させたのはわずかな時間だったと、横道さんは明かす。
「最初の5分はうれしかったんですけど、ちゃんと下山できるかなと心配になりはじめて……(笑)。山頂にいたのは10分くらいでしたね」