“洋楽”がどこでも流れていた時代。ポップミュージックの最大の転換点だった1984年から今年で40年だ。サブスクの普及で、時代を超えて若い世代にも80年代の音楽が聴かれているという。AERA2024年11月4日号より。
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80年代半ばは、いわゆる「洋楽」が身近な時代でもあった。
テレビやラジオから流れるマイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、シンディ・ローパー……その名前を見るだけで、それぞれのヒット曲が懐かしくリフレインするかもしれない。それらの曲が日本のニューミュージックやシティ・ポップ、アイドル曲、時には演歌系と同列に流れていた。流行音楽がある意味「ボーダーレス」だった時代だ。
大きな転換点のひとつは今からちょうど40年前、1984年から85年にかけて。
「1984年は、音楽を含め、世界的に大きな流れが生まれた、重要な年だと思います」
そう言うのは音楽評論家の原田和典さんだ。原田さんは、80年代半ばは「強いアメリカを印象づけられた時代でもありました」と、その背景を考察する。当時の大統領は、大胆な金融政策や積極的な外交を行い、のちに日本のバブル経済にもつながるプラザ合意を実施した、ロナルド・レーガン。
「ロス五輪が開催された年でもあります」(原田さん・以下同)
アメリカすごいの時代
カール・ルイスが100メートル走をはじめ四つの金メダルを獲得、ロケットマンが舞い降りる演出の開会式など、「ド派手な五輪」の代表格である。
「とにかくアメリカはすごいんだという空気がありました。音楽の世界も同じようにアメリカが牽引する空気はありました」
ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」やジェイムス・ブラウンの「リヴィング・イン・アメリカ」など、アメリカという国の存在感を実感するヒット曲も印象的だ。
かつてレーガンが掲げた、再びアメリカをグレートな国に、という選挙スローガン「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」。現在大統領選を戦うトランプ前大統領が、このスローガンを再び掲げた人物であることも、不思議なめぐりあわせを感じる。