水野裕子さん(みずの・ゆうこ)/1998年、高校在学中に芸能界入り。父、叔父、弟、妹の夫が新幹線の架線を張る仕事をし、もう一人の弟もJR東海に勤務する。写真は2012年、最も愛着があった300系新幹線の引退イベントのあと、駅員に許可をもらって車体に触れたときの様子(写真:ソニー・ミュージックアーティスツ提供)
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 10月1日、東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線が開業60年を迎えた。新幹線には人々のさまざまな思いが詰まっている。AERA 2024年10月14日号より。

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 社会を変えた60年の新幹線史。同時に、人々の心にも大きな足跡を残してきた。タレントの水野裕子さんは大の新幹線好きでもある。愛知県尾西市(同一宮市に編入)の実家のすぐ近くを東海道新幹線が通り、父はJR東海の協力会社で新幹線の架線を張る仕事をしていた。家族の会話にも新幹線がよく登場した。

「新幹線は身近だったけれど、やはりちょっと特別な乗り物という意識もありました。父がそれを走らせるための仕事をしているんだ、かっこいいなという思いはずっと持っていたんです」

 ただ、あまりにも身近だったためか、新幹線好きだと意識することなく成長した。新幹線の存在が自身のなかでひときわ大きくなったのは、芸能活動を始めて2年ほどがたったころ。その日の仕事場だった湾岸のスタジオから大井車両基地が見えた。白い東海道新幹線車両のなかに、ひときわ目立つ黄色い編成。ドクターイエローだった。

「そのとき、大興奮してマネージャーさんやヘアメイクさんにドクターイエローのこと、東海道新幹線のこと、いろいろ話したんです。『え、水野なんでそんなこと知ってるの』という反応を見て、気が付きました。そうか、意識していなかったけれど私は新幹線が好きなんだ、新幹線は大切な風景なんだって」

 そしてこう続ける。

「私が新幹線に感じるのは『郷愁』です。高校時代にオーディションを受けるときも、卒業して上京するときも新幹線に乗りました。そんな旅立つ寂しさもあるし、実家に帰れる、ふるさとにつながっているという感覚をもたらしてくれるのも新幹線です。特に好きだった300系は2012年に引退してしまったけれど、新しい車両が出てきて、性能が良くなって、東海道新幹線には今もたくさんの人が乗っています。それが自分のことのようにうれしいんです」

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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