巨人・大場豊千(左)と阪神・田村領平(右)
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 昨年のDeNAのドラ1・度会隆輝は、ユーティリティープレーヤーとしてヤクルトで15年間プレーした度会博文の次男。「超えたときが初めて親孝行だと思うので」と“父親超え”を目指している。過去にも黒田博樹、金城龍彦、坪井智哉ら、プロで父親を上回る実績を残した二世選手がいるが、その一方で、1軍出場なしで終わった二世選手も少なくない。

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 高校時代に甲子園で活躍も、プロでは育成選手のまま終わったのが、山本功児元ロッテ監督の長男・山本武白志だ。

 九州国際大付時代は188センチ、89キロの恵まれた体から高校通算24本塁打。2015年夏の甲子園では、2回戦の大阪偕星戦で、スタンドで見守る父の前で2打席連続本塁打、3回戦の作新学院戦でも先制ソロを放つなど、チームの8強進出に貢献した。同大会での3本塁打は、仙台育英・平沢大河(現ロッテ)とともに最多タイだった。

 そんな大舞台での強さが評価され、同年のドラフトでDeNAが育成2位指名。「心の中ではもやもやしている」と本指名ではないことに複雑な思いを抱いた山本だったが、当時父が肝臓がんで入退院を繰り返していたことから、「1日も早くユニホーム姿を見せたい」と入団を決意し、プロでの飛躍を誓った。

 父は翌16年4月に他界。告別式では、父の巨人時代の後輩・原辰徳氏から「お父さんを超える選手になろうな」と励まされた。だが、1年目はイースタンで60試合出場も打率.143に終わり、2年目も結果を出せなかった。そして、登録名を「武白志」に変えた18年は51試合で打率.213、1本塁打、8打点と3年間で最高の成績を残したが、1軍への道のりは遠く、オフに戦力外通告を受けた。

「社会人野球も考えたけど、中途半端な気持ちでやるのは失礼」と野球を断念した山本は、クリケットに転向し、20年には日本代表強化選手に選ばれた。現在はプロゴルファーを目指している。

 ドラフト1位の父を目標に、親子二代にわたって投手でプロ入りしたのが、大場豊千と田村領平だ。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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ドラ1位の父を目標にプロ入りした2人の投手