1986年生まれ。ウェブライターをしながら、2020年に『明け方の若者たち』で小説家デビュー。同作は翌年、映画化もされた。著書に『夜行秘密』(21年)、『ブルーマリッジ』(24年6月)(写真/小山幸佑)
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 AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

【写真】若者たちに絶大な人気を博すカツセマサヒコさん初の短編集『わたしたちは、海』

『わたしたちは、海』は海辺の街を舞台にした、連作ともいえる七つの物語を収録。どの物語も誰かの人生を垣間見たような感覚になる。著者のカツセマサヒコさんは、強い影響を受けた作家として、故・佐藤泰志さんを挙げ「とくに1話目にあたる『徒波』は、佐藤泰志さんのように海辺の街の話を書きたい、風景描写に挑んでみたい、という気持ちが根底にありました」と話した。カツセさんに同書にかける思いを聞いた。

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 淡い憧れとともにやってくる若い夫婦、長く住み着くことなく再び都会へと戻っていく女性。海辺の街へ引っ越して3年ほど。カツセマサヒコさん(38)は、東京での忙しない日々から逃れるように移り住んだこの街で、多様な人生に触れてきた。

 原稿に向き合っていると、ウグイスの鳴き声が聴こえる。夏はセミの大合唱。最新刊である小説集『わたしたちは、海』では、「目に映るもの、体感しているすべてを一冊に閉じ込められたら」という思いとともに一話一話を紡ぎ出した。カツセさんは言う。

「暮らしてみたら憧れでもなんでもなく、ただ生活が続いていく。そんな感覚を意識しながら書いていました。書き終え気づいたのですが、登場人物の誰一人として海で泳いでいないんですね。『生活』そのものを描いたからこそなのかな、という気がします」

「胸キュンする物語を書いてほしい」という依頼を受け、書いたのが1話目にあたる「徒波(あだなみ)」。海辺の街にやってきたばかりの男性が、かつての恋人と12年ぶりに偶然再会し、街の小さな映画館でイギリス映画を観る。そんな物語を描きながら、自身が癒やされていくのがわかった。スピード感を持って生きることを余儀なくされる時代に、その速度によって削ぎ落とされたものを描きたい、と思いながら生み出す物語に、自分自身が浄化された気がしたという。

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