寝泊まりする場所も決まっていなかった
どこに寝泊まりするかもきちんと決まっていなかった。10月7日以降医療活動を一旦停止せざるを得なかったハンユニスにある国境なき医師団のクリニックに寝泊まり出来そうだったらそうしよう、という話にはなっていた。ガザに入り、まずそのクリニックに着いて寝泊まり出来そうかどうかをチェックした。電気は無いが、水は海水淡水化装置が働いてそうだ。そして建物のダメージも無く、そこでチームはとりあえず寝泊まりすることにした。男性9人は廊下と診察室、女性4人はもう一つの診察室で持参した寝袋を敷いて寝ることにした。石で出来た床に直に寝袋は思ったより次の日身体のあちこちが痛むことを知った。
今回活動の拠点となったナセル病院は、ガザ地区南部で一番大きい病院で、国境なき医師団がもとから手術を行う病院敷地内の別棟で活動していた。私はここで約3週間、半分はオペ室で手術麻酔を担当し、半分は状況に応じて本棟の救急救命室で救急医としても働いた。
病院勤務の初日から重症患者が次々と運び込まれてきた。
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《11月16日の日記から》
英語の堪能な30歳くらいの女性、聞いてみたら薬剤師だった。親近感が湧いた。家にいたところ爆撃にあって夫とともに吹き飛ばされて背骨を折ったらしい。背中に生々しい術後痕があった。夫は壁に張り付いたまま亡くなり、
さらに子供3人中2人も亡くなったらしい。今回の手術は足のひどい火傷をskin graft(皮膚移植)しに来ていた。初めて会った私に淡々と語ってくれているけどなんて凄まじい経験をしているのだろう、と衝撃を受けた。親近感があっただけに、自分もこういう状況にあっていても全然おかしくないと思った。
その前に来た若い女性の患者さんは妊娠39週で爆撃にあい、50%以上(両足、両腕、顔)の火傷があり、生死の境を彷徨いながら5日前に出産したらしい。

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