ライフは清水氏の強気な出店で規模は大きくなったが、既存店への投資は後回し。物流や情報のシステム構築も遅れ、社員たちは息切れし、若くして退職してしまう例も続いていた。

 支店巡りでそんな状況をみて「もったいない」と思う。みんな、朝から晩まで懸命に仕事をして、会社への忠誠心は強く、何よりも商売好き。でも、一つの目標へ向かって気持ちが揃わず、問題があると「あいつが悪い」と言い合っていた。スポーツのチームなら、絶対に勝てない。逆に言えば、ベクトルさえ合えば勝てる、と受け止めた。

 だが、店回りで聞いた「本当はこうしたい」との本音に「やればいいではないか」と返しても、「いままでダメだと言われてきた」と渋る。一例が、残業だ。戦争を経験し、労苦を続けて事業家になった清水氏は、長時間労働は美徳と考えていた。「業績も厳しく、残業はダメ。するならファクスで申請しろ」と、事実上、残業を規制していた。現場は、改善策を考えていたが、就業時間中には手が回らない。トップへ「残業します」とも言えない。結局、サービス残業をするか、売り場の課題を放って帰ることになる。

 それでは客が離れ、売り上げが落ちる。そこで、自分が清水氏に「何々店、残業します」と言うことにした。「改装してオープンです」「大きなチラシで集客するので」などと理由を付け、残業代を払い、現場の空気を変えていく。すると、業績が上がった。

「小売業は、すぐに結果が出て面白い」と頷く。出向期間は両社の合意で2年間。だが、清水氏は、知らないうちに三菱商事へ延長を求めていた。小売業の手応えに戻る気はないし、考えてもいない。『源流』からの流れが、流域を広げていく。

高校から誘われた中学校3年生の区大会の決勝戦

 1966年3月、東京都中野区に生まれた。父は小さな町工場の工場長で、母と姉2人、祖母の6人家族。父はよく働く人で、家族で出かけるのは年一度の海水浴くらいだった。

暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?
次のページ
「15の改革」掲げた東西一体の経営計画経常利益は3倍に