バスケットボールは、区立第五中学校で始めた。『源流』につながったのが、3年生の夏の区大会だ。区に中学校は16校あって、決勝まで進む。最後は負けたが、指導教諭に「慶応高校にくる気はないかと声をかけられているが、どうだ」と聞かれた。同校の関係者が区大会の決勝戦を観にきて、関心を寄せてくれたらしい。そこで日吉キャンパスにある慶応高校を受験、合格してバスケットボール部へ入る。慶大経済学部へ進んでも続け、前述の早慶戦の苦杯から『源流』が生まれた。

 89年4月に三菱商事へ入社、食品トレーディング部へ配属され、果汁の輸入を担当する。5年後、英リバプールのプリンセスという食品子会社へ出た。ここで3年目に、ライフの清水氏と出会う。同氏は妻や社員と英国の小売業を視察にきていた。

 上司と自分の車2台に分乗してスーパーなどを巡ったが、怖い人だと聞いていたのに気遣いもしてくれ、話しやすかった。でも、このときにライフで一緒に仕事をすることになるとは、思ってもいない。後になって聞いたが、清水氏は案内役を務めた3日間のやり取りで何かを感じ、帰国後に三菱商事へ「岩崎君をうちへ出向させてほしい」と要請。「すぐには出せない」と断られても、数年待って会長や社長に直談判したらしい。

「15の改革」掲げた東西一体の経営計画経常利益は3倍に

 04年4月、営業統括本部長になって、東西の営業を一体にした中期経営計画をまとめ、「15の改革」を掲げた。競争力のある新しい形の店を出す一方、役割を終えた店は閉めていく。残す店は手を入れ、売り場の配置を最新のものにして品揃えも内装も変え、働きやすい職場にする。システムも更新、店員教育を体系的に実施する、などだ。

 出向したころは約190店で売上高が約3700億円、経常利益が18億円から20億円。「15の改革」で、売上高や店数はあまり変わらなくても、06年の経常利益は約3倍の60億円に増えた。サービス残業も解消、処遇も改善し、早期に辞める人も減った。事前に近畿圏の声も十分に聞いた「準備力」の勝利だ。

 06年3月1日、出向のまま社長に就任。清水氏は体調が優れず、40代直前の若さに託したようだ。トップに就いて19年目。この間に打った改革は次号で触れるが、変えていない基軸もある。例えば、出店は近畿圏と首都圏に限っている。日本は人口減とはいえ、東京は地域によって増えているところもあり、近畿も細かくみると増えるけれど店が少ないところもある。まだ出店余地はある、との判断だ。

 次に市場が大きい中京圏や福岡圏は未開拓だが、そこには、地域の食文化に根差したスーパーがある。いまさら出ていっても、勝負はついている。あるとすれば、地域企業との提携だ。そう口にしたのは、また「準備力」が動き出しているのかもしれない。『源流』からの流れは次に、どこへ向かうのか。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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