ゆか「人間関係の本質に蓋をしたまま、上手く回っていたらそれで良いと思える人は、そもそも相談してこないと思うんだよね。ちょっとさ、『僕は違うと思う』っていうひろゆき君の感想なのか、もっと深い話なのか、もう少し詳しく」

ひろ「まず、人間関係の本質なんてものはない。人間の決意や意思なんて移ろうものなので、考えは時と場合で変わる。例えば若い頃は『服が大好き!毎月3万円ぐらい使う。ファッション関係の仕事したい!』みたいな人でも、年取ると『今月は一着も服を買ってない』とかなるのは良くある。他にも『イケメンが好き』とか言ってた人が、不細工と結婚してたりとかね」

ゆか「ふむふむ」

ひろ「だから、その時の人の考えというのを変えようとしなくても、時間が経つと、自然に変わることがある。ぶつかる問題があった時に、『話し合って妥協して、合意点を見つけよう!』みたいなことをやって、『お互いに相容れない部分がある事がわかりました』みたいになって別れるよりも、『同意出来る範囲だけ進めて、後は有耶無耶にしておこう』でいいと思うんだよね」

ゆか「なるほど。疑問が2つ。
① 同意形成するには、結局話し合いの機会は必要じゃない?
② 私は人間関係で動物的解決が多くなることって、力による解決(声の大きい者が勝つ、気の強い方が勝つなど)が増えるってことだから、それは夫婦の場合、長期的には何らかのハラスメント的状態に陥る可能性が高くなることなんじゃないかなって思うんだよね。
 今後夫婦2人だけでなく、家族が増えていった場合にも、動物的解決より対話での解決の割合が多い方が、建設的な人間関係を築けると思うけど、そこについてはどう思う?
 年齢や環境でも価値観が移り変わるのは当然として、価値観が変わっていっても人は対話をできると思うし、それこそが人間だと思うのだけど」

ひろ「①については、言語を使うと揉めそうなので、動物的に同意形成した方が良い、というのがおいらの回答。②は君の思い込み。『胃袋を掴め』という言い回しがあるように、言語を介さないコミュニケーションはいくらでもある。目が合った時に微笑むのか、無視するのかでだいぶ違う」

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言葉を使わないコミュニケーション