すべての悪を撲滅するわけではないが真の利益に向けて、行動し続けることが重要なのだという内容のガブリエル氏の返答は、僕の耳にはあまり歯切れよく聞こえなかったが、質問が大きすぎるので、短時間では答えられないという事情を含んでの回答だったと思う。また、小川さやか氏は、「自分はよくデビッド・グレーバー(人類学者)を読み、基盤的コミュニズムについてよく考えるのだが」などともコメントしていた。基盤的コミュニズムとは、僕なりに大胆に翻訳して言うと、「僕らは資本主義社会に生きていると思っているけれど、実は、コミュニズム的な社会に生きている」という事態を明らかにする言葉である。この考え方が意表を突いているのは、カール・マルクスは資本主義が瓦解してコミュニズムが到来すると予言したように、従来コミュニズムは未来に実現するべきものとして捉えられていたけれど、実は社会の基盤はとうの昔からコミュニズム的なものが機能しているのだという新しい視点を与えてくれる点にある。

個人が利己的でも、社会は利他的にふるまう

 そして、これは資本主義を完全に否定することにもつながらない。革命は必要なく、資本主義があろうがコミュニズムは機能しうるし、現にしているからだ。問題があればもっと機能を活発化するように工夫すればよい。さらに小川さやか氏は、生物学者の福岡伸一氏の、「ドーキンスは利己的な遺伝子を唱えたが、生命は利他的なのである」という説もさらりと紹介した。「利己的な遺伝子」という言葉は、経済学における「個人」を想起させる。経済学は「個人」を、自己の利益を最大限にするために合理的に行動する利己的な主体として捉える。そしてもう一方の「生命」は「社会」に置き換えると面白い。個人が利己的でも、社会は利他的にふるまう、つまりコミュニズム的なものを基礎にしているという、先にあげた「基盤的コミュニズム」にも接続できるし、ボトムアップ型の倫理とも親和性が高くなる。そして、これは資本主義にはもともと倫理(利他的なるもの)が備わっているのだというマルクス・ガブリエル氏の意見とも齟齬をきたすものではない。

 東洋の哲学や人類学の視点が合わさって、興味深い議論が展開された会だった。資本主義に対しては、「資本主義はもう駄目だ」という意見も出てきている。ただ、その先のプログラムに耳を傾けても、説得力のあるものはなかなか出てこない。なので、このような利他的という視点から資本主義を再考することは有益だと僕も思う。また、個人的には、「基盤的コミュニズム」には、なにか霊的なもの(宗教という言葉は使いたくないがそれに類するもの)が潜んでいる気もする。このへんは自分も引き続き考えていきたいと思う。

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榎本憲男

榎本憲男

和歌山県出身。映画会社勤務の後、福島の帰還困難区域に経済自由圏を建設する近未来小説「エアー2.0」(小学館)でデビュー、大藪春彦賞候補となる。その後、エンタテインメントに現代の時事問題と哲学を加味した異色の小説を発表し続ける。「巡査長 真行寺弘道」シリーズ(中公文庫)や「DASPA吉良大介」シリーズ(小学館文庫)など。最新作の「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)は、オール讀物(文藝春秋)が主催する第1回「ミステリー通書店員が選ぶ 大人の推理小説大賞」にノミネートされた。(写真:中尾勇太)

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