では、倫理とはなにか。倫理を哲学的に突き詰めた哲学者としてはカントが有名だが、第二部で、中国哲学を専門とする中島隆博氏が、カントの試みは失敗したと語り、孟子のエピソードを紹介した。おそらくほとんどの人が聞いたことのある、人は井戸に落ちる子供を見ればなんの計算もなく助けてしまう話である。この、“惻隠の情”のようなボトムアップ型倫理こそが必要で、“民の富”という視点から資本主義を再考すべきでないか、という提言をおこなった。僕にとって興味深いのは、『貨幣論』で有名な経済学者の岩井克人氏が、持続可能な資本主義が可能をカント哲学に見出していることである。いちど両者の主張をじっくり考えてみたいところだ。
巨大企業が利益を優先して社会を壊す行為は「新しい全体主義」
それはともかく、かつてマルクス主義者は、資本主義の死と社会主義の誕生を告げる鐘としては、経済恐慌を想定していた。しかし現在、資本主義に激しく警鐘を鳴らしているのは、環境問題と格差問題だろう。つまり、資本主義の問題は経済的なものから倫理的なものにシフトしていると言ってよい。なので、資本主義よ、倫理的であれ(倫理に還れ)、というマルクス・ガブリエルのメッセージは説得力があり、これに異を唱える者は(資本主義を見限った者以外は)いないと思われる。マルクス・ガブリエル氏は、企業が持続的に利益を得るためには倫理的でなければならないと説き、巨大企業が利益を優先して社会を壊すのを新しい全体主義として批判しようとしている。
しかし、倫理的でない企業は生き延びられないだろうという氏の予想は、楽観的に過ぎないだろうかと首をかしげる人もいるだろう。けれど、本会には質疑応答の時間が設けられていなかったから、その疑問は宙づりにされた。ほかにも聞いてみたいことがたくさんあったのですこし残念に思っていると、小川さやか氏が、僕が発したかった質問のひとつ(そしておそらく会場にいた多くの人も)をしてくれた。「(資本主義が本質的に倫理的であるとしたら)なぜ、倫理的でない資本主義がかくも暴走しているのでしょう(大意)」