9月1日は「防災の日」。台風が襲い、地震が起きる「災害大国」の日本。被災者と向き合ってきた皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2024年1月14日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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元日に能登半島地震が発生し、皇居では年初の一般参賀が中止された。宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は甚大な被害が出たことに心を痛め、犠牲者に対するお悔やみや、被害者へのお見舞いの気持ちを石川県知事に伝えたという。大きな災害が起きると、皇室は犠牲者に祈りを捧げ、和歌を詠んで世の安寧を祈ってきた。1月19日には、新春の宮中行事である「歌会始の儀」が宮殿で執り行われる。国民の苦しみに、和歌を通して向き合う皇室の姿を振り返る。
<悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり>
2014年の歌会始に向けて、当時皇太子妃だった雅子さまが詠んだ和歌だ。
11年3月の東日本大震災のお見舞いのために、当時皇太子だった天皇陛下と岩手県釜石市を訪れた。静かに凪ぐ湾を目にして、海と歩んできた地域の人々の悲しみが癒やされ、海が穏やかに人々の暮らしを守るよう願いを込めたという。
宮城県の名取市には、17年におふたりが復興住宅を訪れたときの思いを詠んだ歌碑が建てられた。翌18年1月の歌会始で披露された和歌だ。
<復興の住宅に移りし人々の語るを聞きつつ幸を祈れり>(天皇陛下)
<あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし>(雅子さま)
そのほか、宮城県の東松島市や女川町にも、雅子さまの歌を刻んだ歌碑ができている。
即位後の天皇陛下は、コロナ禍が収束する日への希望を何度も詠み、皇后となった雅子さまも、台風や豪雨災害から立ち上がる人びとの姿を詠んでいる。
勅使による災害地の情報収集
「天皇、皇后両陛下、そして皇族方は歌を詠み、平和への祈りを捧げながら、死者の魂の鎮めをひたすらに心がけておられる存在」
昭和から平成にかけて、宮内庁御用掛として昭和天皇や平成の天皇、皇后両陛下、皇族方の和歌の御相談役を長年務めてきた歌人の岡野弘彦さんは、かつて筆者にそう話していた。