「ひきこもり」が増加している。しかも長期化が進んでいる。それに鬱病は、もはや国民病のレベルだ。私も地域ボランティアとして同種の問題に関わっているので、そういう実感がある。
 杉山氏は社会学的分析や医療的アプローチではなく、当事者の悩みに寄り添い、心の襞や家族歴に踏み込むことで、この深刻な事態の実相に迫ろうとする。その踏み込み方は、時にハラハラするほど鋭く、遠慮がない。
 だが何といっても本書の白眉は、著者自身が抱える家族の問題を、赤裸々に描き出している部分だろう。既に乗り越えた問題なのかもしれないが、あまりに記述が具体的なので、それこそお子さんがショックを受けないか心配になる。
 ひきこもりの誘因として著者は、若者を縛る「規範」に注目している。親や学校や社会の規範が、若者を抑圧する。また若者自身、内面化した規範に照らして自分に満足できず、足がすくんでいる実態を、リアルに描き出した。
 たしかに親の意識は子供を縛ってしまう。しかも、それは若い世代が生きる現実とはずれたものだったりする。
 親が子供を追い詰めてしまうのは、心配だからだ。特に親自身が社会規範の「ふつう」からずれているケースでは、焦りや不満が理不尽な形で子供に向かうこともある。
 それでも親は子供に責任を持とうとし、抱え込んでしまいがち。それがいっそう事態を深刻化させてしまう。
 では、社会に任せればいいかというと、そうとも言い切れないのが日本の現状だ。専門家が少なく、公的予算は限られている。いじめる側や傍観者も、自分の悩みや苛立ちで手一杯なのかもしれない。ようするに親にも社会にも余裕がないのだ。そのジレンマが本書の行間から滲んでくる。
 皮肉な話だが、今の日本でいちばん足りないのは、「この社会はあなたのそして、私の場所だ」と、心の底から実感できる、そんな社会規範なのかもしれない。

週刊朝日 2016年3月4日号