おぼん・こぼんの2人(撮影/上田耕司)
おぼん・こぼんの2人(撮影/上田耕司)

 無名時代の横山やすしは、生活費を稼ぐためにオートバイで「白タク」のまね事をしていたこともあったという。

「やすしさんは『普通のタクシーで行くと混むけど、バイクならすぐ着きまっせ』なんて、呼び込みをしてました(笑)。やすしさんのライバルだった若井ぼん・はやとの方が先に売れちゃってね。やすしさんは悔しそうに『ぼんぼん、お前待っとれや。すぐ追い越したるからな』と叫んでましたね」(こぼん)

 おぼんとこぼんが出会ったのは高校時代。2人とも大阪福島商業高校(現・履正社高校)で同学年だった。同じクラスになったことはなかったが、3年生の修学旅行でのクラス対抗演芸会で、教師から「漫才でもやってくれ」とこぼんが声をかけられたのが運命の糸口となった。こぼんがおぼんを相方に誘い、初めてコンビを組んで、みんなの前で漫才を披露。会場はドッカンドッカンとウケて病み付きになった。

 高校3年時、2人は毎日放送の「素人名人会」のオーディションを受けに行ったが、後に“西の女帝”の異名をとるようになった上沼恵美子も、同じオーディションを受けに来ていたという。

「上沼さんはお姉さんとお父さんと家族3人で淡路島から出て来ていました。上沼さんはまだ小学校低学年くらい。お父さんがアコーディオンを弾いて、お姉さんは三味線を弾き、上沼さんが畠山みどりさんのモノマネをやっていました」(こぼん)

 その姉妹はのちに、海原千里・万里のコンビ名で売れっ子となった。千里が上沼、万里が6つ上の姉の芦川百々子だった。

「その後、上沼さんとは会う機会がなかったから、当時の話はしたことがありません。彼女はあのオーディションに僕たちがいたことを覚えていないかもしれないですね」(こぼん)

 その後、2人は素人芸人の勝ち抜きオーディション番組「しろうと寄席」(フジテレビ系)で優勝。次第に”高校生漫才コンビ”として世に知られるようになった。

 高校生コンビという話題性から東京の芸能事務所に誘われ、思い切って上京したがうまくはいかず、「芸能事務所は9カ月でつぶれてしまった」(おぼん)という。そこで事務所を移籍したところ、キャバレーまわりの専門の事務所だった。キャバレーで歌謡ショーの司会や前座をやりながら、芸を磨く日々が続いた。

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