産業革命は都市の姿を劇的に変えた。地域の連帯は弱まり、隣人が未知の存在になった19世紀初頭のイギリスでは戦争や飢饉と並び、殺人が大衆の脅威として浮かび上がる。それは、人々が文学や演劇、美術を通じて、殺人を娯楽として消費する時代の幕開けでもあった。
現実の殺人事件と文学などの関係性を時系列に追うが、現実がフィクションになるだけでなく、時にはフィクションが現実になる。
ロンドンを震撼させた「切り裂きジャック」。民衆が描く犯人像は小説『ジキル博士とハイド』の影響が色濃い。容疑者として、事件と同時期に上演されていた演劇の主演俳優や小説家、画家、国王の長男までもが浮上した。小説の影響で誰もが犯人を「昼間は豊かな社会の一員で、夜間になるとホワイトチャペルの薄汚い通りを徘徊する外部者」と推測したのだ。
殺人事件を「愉しむ」タイトルには違和感がある。だが、大衆が殺人事件に罪深い快感を覚えたからこそ、司法や教育の進展があった事実も本書は教えてくれる。
※週刊朝日 2016年2月26日号