左から城倉由光(じょうくらよしみつ)/ 1960年、愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学卒業。88年にサンデー毎日記者となり、毎日新聞東京本社社会部、サンデー毎日編集次長、15年から18年まで編集長、雑誌本部長などを経て現職 渡部薫(わたなべかおる)/ 1970年、東京都生まれ。1995年、朝日新聞社入社。秋田支局、東京地域報道部などを経て2014年から週刊朝日記者。15年副編集長、16年AERA編集長代理、19年宣伝プロモーション部長を経て21年4月から現職(撮影/写真映像部・高野楓菜)
左から城倉由光(じょうくらよしみつ)/ 1960年、愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学卒業。88年にサンデー毎日記者となり、毎日新聞東京本社社会部、サンデー毎日編集次長、15年から18年まで編集長、雑誌本部長などを経て現職 渡部薫(わたなべかおる)/ 1970年、東京都生まれ。1995年、朝日新聞社入社。秋田支局、東京地域報道部などを経て2014年から週刊朝日記者。15年副編集長、16年AERA編集長代理、19年宣伝プロモーション部長を経て21年4月から現職(撮影/写真映像部・高野楓菜)
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「サンデー毎日」と「週刊朝日」は同年同日の創刊。それから101年、新聞社系週刊誌としてしのぎを削ってきた両誌編集長の対談が実現。創刊の真相、記憶に残るスクープ・連載、恒例の大学合格発表号まで語りあう。

【画像】1922年に日本初の総合週刊誌として発行された「旬刊朝日」「サンデー毎日」両誌の創刊号の表紙はこちら

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渡部薫・週刊朝日編集長(以下、渡部):私は新聞出身ですが、何となく出版の人って新聞とムードが違いますよね。昔は出版局に住んでるみたいな人もいて。

城倉由光・サンデー毎日編集長(以下、城倉):政治から芸能まで何でもやらされるじゃないですか。だから家に帰れない(笑)。人間が丸くなる一方で、厳しさもある。僕がサンデー毎日に入ってすぐの1989年、当時の宇野宗佑首相のスキャンダルがあって、告発者が本物かどうか裏付けや尾行をするわけです。鳥越俊太郎さんが編集長だったけど、当時はこんなこともやるのかと驚きました。

渡部:週刊誌は新聞では追いかけないことを書くことがありますよね。90年代の週刊誌はすごく面白かったと思います。

城倉:毎週落ち着かないというか。たとえば、92年後半から93年初めは、宮沢りえと貴乃花の婚約解消騒動で“文春砲”が炸裂しました。その前は飯星景子さんとか山崎浩子さんの旧統一教会からの奪還報道など90年代の週刊誌はすごかったです。

渡部:金曜夜の突発事案が火曜発売の雑誌掲載でも賞味期限が切れなかったと思うんですが、今はもう遅い。昨夏の安倍晋三元首相襲撃事件も金曜の昼で、週刊誌ではうちが一番早いタイミングだったから読まれると思ったんですが、予想より売れなくて。週刊誌の一つの役割が終わったのかもしれないとしみじみ思った出来事でした。

城倉:ニュースの消費が早いというか、ネットの影響でしょうね。

渡部:それで雑誌を作っていくのは、キツイなという感じはしますね。あるもので何とかするという時代を経験できたのは、それはそれでよかったとは思います。

■本当はどちらが創刊早かった?

城倉:『週刊誌五十年 サンデー毎日の歩み』(毎日新聞社)という本には、大阪堂島界隈の飲み屋でサンデー毎日が出ることを朝日新聞の人が聞きつけて、急いで「旬刊朝日」を創ったという伝説がありますが、真相は藪の中ですね。

渡部:トイレで聞いたという話もあって、とにかく一日でも早く出せと。それで先に「旬刊朝日」で出して、4月2日にサンデー毎日と一緒に週刊にした。

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