ただ、ここまでSNSやネットニュースなどで『24時間テレビ』に対する批判の声が飛び交うのには、それなりの理由がある。不祥事があったから、偽善的だから、ジャニーズタレントばかり出ていたから、などとよく言われるが、それらの理由は本質的な要素ではない。率直に言って、批判が多いのは番組自体があまり面白くないからだと思う。
もちろん、何を面白いと思うかという感覚には個人差もあるし、簡単に決めつけられるようなことではない。ただ、今の『24時間テレビ』が、一般的な視聴者が見ていてワクワクするような内容になっているのかというと、そのようには思えないのだ。
そこには「熱狂」があった
最初の『24時間テレビ』は、当時のテレビの常識を覆すような型破りな内容だったからこそ、大きな話題になった。多くの視聴者が番組に夢中になり、全国の募金会場に駆けつけて募金を行った。そこには1つの熱狂があった。
その後、1992年には番組内で「サライ」という楽曲が作られ、マラソン企画が始まった。サライを歌うこととマラソンをすることが名物企画になり、現在まで続いている。どちらも始まった当初は斬新な企画だった。
しかし、それ以降の『24時間テレビ』は、これといった大きな発明もないまま、同じような企画を毎年続けている。ハンディキャップを抱えた人たちが何かに挑戦するといった定番の企画が繰り返されている。
テレビの常識を覆して、革新派の先陣を切っていたはずの『24時間テレビ』が、今ではガチガチの保守派として、時代の流れに背を向けてお行儀の良い型通りの番組を続けている。特に刺激のない番組を長々と垂れ流されたら、批判の1つもぶつけたくなるのは当たり前だろう。
もちろん、チャリティー番組としての社会的な意義は面白いかどうかとは別に考えなければいけない。ただ、面白さというのは、単に笑えるかどうかという話ではない。社会的に意義のある内容を面白く見せることもできるはずだ。本来『24時間テレビ』という特別な枠で挑戦すべきなのはそういうことではないか。
『24時間テレビ』は相変わらず視聴率を取っている。昨年は少し数字を落としたが、それでも今のテレビ業界では大健闘と言えるものだ。ただ、これだけ世間の批判が高まっているのは、単純にその内容に満足していない視聴者が数多くいることを示している。
反省を踏まえて原点回帰した『24時間テレビ』が、本当の意味で見ごたえのある面白い番組に生まれ変わることを期待している。(お笑い評論家・ラリー遠田)