常に笑顔なのでチャームポイントのえくぼが出っぱなし
常に笑顔なのでチャームポイントのえくぼが出っぱなし

 日航ミュージックサロンでのレミさんの歌の評判は広まり、ほどなくして「銀巴里(ぎんぱり)」から声がかかった。銀巴里は、1951年から1990年まで東京・銀座にあった日本初のシャンソン喫茶。美輪明宏、青江三奈、戸川昌子、岸洋子らを輩出し、日本のシャンソン文化の拠点だった。銀巴里と日航ミュージックサロンは銀座通りを挟んで目と鼻の先。

「歌のステージが終わったらドレスをたくし上げて、譜面を片手に銀座の街をハイヒールでタッタカ駆けて。何度も往復するの。楽しかったわ」

 レミさんの美声は新たなチャンスとその後の出会いも呼び込む。

「そのうち、日本コロムビアからお誘いがあったの。うちからレコードを出しませんかって」

 即、OKした。レミさんのデビュー曲は「誘惑のバイヨン」。シャンソンではなく歌謡曲だった。シャンソンは下火になってきたからしばらくお預け、と言われて渋々がまんした。

「近所のおじさんから『<誘惑のバイヨン>が北海道のストリップ劇場で流れてたよ』って聞いて、複雑な気分だったわよ」

 デビュー曲は幸か不幸か「中ヒット」。そのため2曲目も3曲目も歌謡曲だった。4曲目のタイトルは「カモネギ音頭」。プロモーションのため、銀座の歩行者天国でカゴいっぱいのネギを背負って歩いてほしいと言われた。

「や~めた。そんなこと、絶対にやりたくないもの」

 しばらく家にいたら、今度はTBSラジオから出演の誘いがあった。月曜から金曜の昼の生放送だった。「何でも好きなことをいっぱいしゃべっていいから」と言われて自由に話したらリスナーに大受けし、2年半続いた。相方は久米宏さんだった。

「ラジオもね、ちょっとした手違いがあったのよ。新人紹介パンフレットに載っていた顔写真と名前が私と辺見マリさんで入れ替わっていたらしいの。辺見マリさんの顔写真の下に私の名前があって。

 TBSラジオは辺見マリさんの写真を見て『かわいいじゃないの』って平野レミにオファーしたわけ。マリさんは人生の恩人ね(笑)」

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