隣近所で助け合い、貧しいのに金も貸す。そんな「人を大切に」という下町らしさを、父母はみせていた。工場勤めで見習って、現場の人に溶け込んだ(写真:山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年7月15日号では、前号に引き続き古河電気工業の柴田光義特別顧問が登場し、「源流」であるかつて暮らした東京都墨田区向島などを訪れた。

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 私鉄の電気技術者だった父から、知らずしらず、自分も技術者としての道を歩むことになる「水源」を受け取っていた。まだ小学生だったので、それが何かは分かっていなかったが、大人になって振り返れば明快だ。それは、技術者としての誇りやこだわり、言い換えれば「技術者の匂い」だった。

 普及が始まったばかりのテレビ受信機は、故障が多かった。とくに観たい局を選ぶのにつまみを回し、局のナンバーに合わせるチャンネル部は、何度も回しているうちに摩耗し、ぴったりと合わずにずれてしまう。

 父は取り外し、分解して修理した。電気や機械の知識が豊富だった。「手伝い」をしたと言っても、まだ小学校の4、5年生で、いろいろと教わっていただけ。他の家電製品も同様で、分からないことを尋ねると、普段は厳しい父が家にあった小さな黒板を持ってきて、図を描いてやさしく説明してくれた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 5月下旬、父母と過ごした家があった東京都墨田区向島を、連載の企画で一緒に訪ねた。柴田光義さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったという「技術者の匂い」をかいで育った地だ。

 母は健在だが、父は6年近く前に亡くなった。東京大学工学部を出て古河電気工業の独身寮へ入るまで23年余りいた家は、取り壊され、駐車場になっていた。都立本所高校のすぐ前で、玄関から家の脇を通る細い空間があり、進むと裏道へ出た。下町によくみられた構図だ。

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