「編集者としてのキャリアはいったん脇に置き、いち学生として謙虚に学びたいと思いました」
ただ、高原さんにとって大学院で学ぶ理由は「小説の執筆スキルを磨く」ということ以外にもある。念頭にあるのは、若い頃に一緒に仕事をしたことがあり、「心のお師匠さん」だという大御所の作曲家、大野雄二さんの「発注があるからこそ書くんだ。そして締め切りに勝る“作品をつくるコツ”はない」という金言。発注されて、締め切りがあるから作れる――これぞプロだなと思った、と高原さんは振り返る。
「頼まれてもいないものを書くというのは、人はなかなか苦痛なのです。締め切りを設定してもらわないと、僕はたぶんいつまでも動けないと思いました」
大学院に入り、必然的に課題提出などで小説を書かざるを得ない状況に追い込まれれば、自分の中の創作スイッチが「オン」になるのではないか、と考えたのだ。とはいえ、完全オンライン制の講義は想像以上にハードだった。
「ゼミの回数は年9回。これまで3回出席しましたが、内容が濃密で半日の講義が終わると脳がヘトヘトになります」
フル勤務を続けながらの大学院生活。通勤時間の短縮と体力の温存のため最近引っ越しをしたという。
「夜間や休日を執筆に注ごうとしていますが、なかなかままならず……。あと半月以内に短編小説を1本書かなければいけないんですけど、全く手をつけられていなくて……」
自分の中に編集者と作家がいれば最強ではないか。そう問うと、「作家の自分はいないですね」と苦笑しながらこう返した。
「ネタはあるんですけど、いざ作品にするとなると、どうしても編集者根性が出てくるんです。この要素が足りない、ファクトチェックができてない、そういうことに気を取られて、なかなか一歩を踏み出せないんです」
この記事が実名で出ると、さらに自分を追い込むことにならないか。つい心配になって尋ねたが、そこは覚悟の上だという。
「自分の納得のいくものを残すチャレンジをしてみたい。それだけなんです。作家になりたいとか、有名人になりたいという気持ちは全くありません。チャレンジして何も残せなかったら、ちょっと恥ずかしいけど、自分には力がなかったんだと諦められます」
あえて逃げ場のない形で挑むのは、これまで競争やプレッシャーの中で成果を収めてきた高原さんの職業人としての成功体験もあるからなのだろう。社会人の学びの奥は深い。
京都芸術大学の通信制大学院はレポートや作品提出、動画講義、グループワーク、個別指導などをすべてウェブ上で行い、完全オンラインで学べる。面接入試はなく、研究計画書などの書類審査のみで合否判定する。現在20~80代の742人が在籍し、デザイン、美術・工芸、写真・映像、文芸などの各領域で学び、「修士(芸術)」(MFA)の学位取得を目指している。
(編集部・渡辺豪)
※AERA 2024年7月8日号から抜粋・加筆